あの夏、どこまでも広がる青空の下、ブチャには子供たちが笑う声が響き渡っていた。
初めてブチャを訪れた日。わたしはガリーナに出会った。彼女の子どもたちを包み込むような笑顔を見て、わたしはブチャを取材しなければならないと思った。
あの夏、いつもリーザはじけるような笑顔で笑っていた。リーザと遊ぶ子供たちも、心の底から楽しそうに、腹から声を出して笑っていた。リーザの笑顔はブチャの太陽だった。
しかし、そんなリーザがどれだけの悲しみを背負っていたのか、わたしは、何も知らなかったのだ。
ロシアの軍事侵攻により破壊されたブチャ。ブチャの街は、ロシア軍によりたくさんの建物が破壊されていた。でも、ロシアの軍事侵攻が破壊したものは、建物だけではない。
ブチャ虐殺、たくさんのブチャの人が命を失った。わたしがあの夏に出会った、多くの人たちも、悲しみと絶望を抱えていた。
少女は、傘を噴水に向けてニコニコと笑っていた。その手で傘を掴み振り上げれば、降り注ぐ噴水の水に濡れることはない。 わたしも、あの少女のように強くなりたい。雨にも負けずに、ニコニコと笑って生きていきたい。あの夏、傘で水遊びをするブチャの少女を見て、わたしは、そのようなことを本気で思っていた。
雨上がり、噴水記念日。あの日、ブチャ中央広場の噴水が直った。再び噴き上がる噴水の水を前にして、リーザや子どもたちは、水かけっこをしたり、水に飛び込んだりして、腹から声を出して、日が暮れるまではしゃいでいた。
老若男女、噴水の水を浴びて、腹から声を出して水遊びをする。そんな光景が、わたしにとって、の、ブチャの、ウクライナの夏の光景だった。わたしはそんな光景をいつも無我夢中に撮影していた。ときにはその無邪気な光景を見て、自然と笑っていた。
ブチャの死の通り、男性の家は爆撃で破壊された。「そんなカメラと、ペンでお前に何ができるんだ」、男性は、わたしにそう疑問を投げかけてきた。あのとき、わたしは何も答えることができなかった。今も、彼の問いにわたしは答えられないだろう。何もできないのかもしれない、それでも、わたしはあの夏のブチャを、わたしが出会った人たちの姿を、彼らの声を、伝えて行きたいと思う。
ブチャの子どもたちは、何度ジェンガの塔が崩れても、何度でも、塔を再び作り上げ、大人よりも遥かに積み上がった塔が何度崩れようとも、崩れるたびに腹の底から声を出して、キャッキャ、キャッキャっとはしゃいで笑い、再び塔を作り直す。
満面の笑顔のブチャに住む少女
ブチャからポーランドに避難していた少女。彼女の祖母と祖父は、ブチャでロシア兵に撃たれた。
シャボン玉を楽しむ少女
占領下のイルピンでロシア兵と友達になった少年。知り合いの男性は処刑された
村をロシア兵に占領された人々
虐殺にあった市民の埋葬。普段ブチャの街でいっさい見かけない記者やジャーナリストが、ハエのように埋葬や死体を撮影しようと集まっていた。撮れ高がなくなると、彼らはすぐにいなくなった。わたしは、ブチャ取材で、ジャーナリストや記者に憤りを感じ、絶望した。わたしは、最後まで埋葬を見届け、名もなき死者たちに祈った。
ブチャの名もなき死者。身元不明の死体。彼らが、彼女たちにも、きっと帰りを待つ家族や友人がいるはずだ。わたしがブチャで出会った人たちのように、彼ら彼女たちも、生きていたのだ。だけれども、名もなき死体にされてしまった。わたしは、あなたたちが生きていたことを忘れない。あなたたちにも帰るべき場所や、待つ人たちがいることを絶対に忘れない。
娘と母を亡くした、死の通りの夫婦
ロシア兵に二人の息子との幸せな未来を奪われ、残された母。それでも彼女は、庭に花を植えていた。
拷問部屋でロシア兵に処刑された次男とロシア兵に撃たれて障害を負った長男
ロシア兵に3人の友人を処刑された男性。普段は陽気なはずのセルゲイは、「なぜロニャは死んだ?なぜなんだ?」そう、虚空に向かって問い続けていた。
死の通りでブチャの虐殺を生き延びた4歳と2歳の少女
ロシア兵に撃たれて歩けなくなったリーザの父と失明したリーザの母。それでも、彼女たちは支え合い、笑い合っていた。彼らの生き様の、なんと強いことか。
それでも、リーザは、彼女は笑って、子供たちと遊んでいた。障がいを負った両親を養うために、前へと、進むために。ブチャの悲劇を世界に忘れて欲しくないと、彼女は言っていた。
疎開させていた娘と再会したガリーナ
夏の終わり、あの夏の最後にわたしが垣間見た”本当のブチャ”