アルメニアの少女 アルメニア ハルタシェン村 2021年 11月

少女ロザンの笑顔は、いまでもよく覚えている。
ロザンの境遇は少しだけわたしと似ている――そのこともまた、わたしが彼女の笑顔をよく覚えている理由の一つなのかもしれない。
はじめてハルタシェン村にあるロザンたちの石造りの家に着いたとき、初老の女性カリーネ(48)は、人懐こい笑顔でわたしと通訳を出迎えてくれた。彼女はまず、おいしいアルメニアコーヒーを小洒落た小さなコーヒーカップに入れてくれた。そんなカリーネの隣に、ニコニコとしている、リンゴのような赤いほっぺたをして、赤い服を着た少女がいた。赤い服の少女は、カリーネの孫娘だった。
その少女が、ロザンだった。
わたしがカメラを机に置くと、ロザンは、いままで見たことのない得体の知れない、未知の物体を見るかのような表情で、目を細め、わたしのカメラを訝しんでにらんでいた。わたしは少女の警戒を解くため、これはきみに危害を加える危険な物体ではなく、このカメラはお友達だよと、証明するため、カメラの後ろのディスプレィに、いままで撮影したアルメニアの子どもたちの写真を表示し、ロザンに見せた。ロザンは子どもたちの写真を見て、カメラを友達だと認識し安心したのか、固い表情を緩め、にぱあっと、無邪気な笑顔を浮かべた。ロザンの、感情豊かな表情を見て、わたしは思わずプッと吹き出し、気がついたら笑っていた。
ロザンのほかにもう一人、家には白い服を着た少女がいた。白い服の少女アシア(9)は、カリーネの娘だ。彼女は病気で寝たきりのお父さんカレン(48)の近くで、ずっと心配そうな顔をしていた。
カレンは、手と心臓の病気のせいで足の感覚がない。アシアは、そんな彼を心配して、取材中、ずっとお父さんに付きっきりでいた。アシアがお父さんに付き添う様子を見て、とてもやさしい娘なのだろうなと思った。
彼女たちは2020年、44日間戦争が勃発する前は、アルツァフ共和国(ナゴルノ・カラバフの未承認国家)のラチン市で暮らしていた。
いや、ラチンはアゼルバイジャン名だ。あえて、アルメニア名のベルゾール市と呼ばせてもらおう。なぜなら彼女たちにとっては、あの街はアルツァフ共和国のベルゾール市だからだ。カリーネはアルメニア軍で兵士に料理を作る仕事をしていた。2020年の44日間戦争、カリーネは戦場で地獄を経験した。44日間戦争まで、彼女たちはベルゾール市で幸せに暮らしていた。いや、無邪気に笑うロザンにとってはそうではなかった。そして、前の暮らしでロザンには一緒に暮らす、父親がいた。
「子どもたちにとって、戦争前の生活はどうだったのですか?」
「この娘(ロザン)は幸せじゃなかった」。わたしの質問に、カリーネはそう答えた。
「えっ?」という言葉が、わたしの口から思わずとび出した。
わたしは、彼女の答えに自分の耳を疑った。わたしはその質問の答えに「前の生活は良かった」とか「友達がたくさんいて楽しかった」という答えを期待していたからだ。質問を投げかけておいて、返ってくる答えを予想していたわたしは、まだまだ浅はかだった。(そのような定型的な、それっぽい会話を欲しがる記者やジャーナリストは、蝿の数ほどいるのもまた事実だが)
44日間戦争まで、ロザンは、父親とお母さんと暮らしていた。父親はお母さんをよく殴る、家庭内暴力をする男だった。カリーネは語らなかったが、もしかしたらロザンも、実の父親から暴力をうけていたのかもしれない。
――服従しろ、服従しろ!!――。そう、酒臭い息を吐きながら、大声で叫ぶ声が当たり一面に響き渡る。
その大きな声が響くたびに、わたしは重く暗く、冷たい恐怖に包まれて身動きが取れなくなった。そして叫び声が聞こえるたびに、お腹に鈍く、重い痛みが広がってゆく。一瞬、そんな遠い日の嫌な記憶が、わたしの頭のなかをよぎった。
にぱあっと笑うロザン。
彼女は、両親と過ごした家で、なにを思い、なにを見てきたのだろうか。わずか6歳にして、戦争だけでなく、彼女は一体どれだけの悲しみを見たのだろうか。
「私も彼女の父親を知っているわ。学校でも有名な不良だったわ。家庭内暴力も噂になっていた」。通訳は、ロザンの父親の名前と出身地を聞いて、そう語った。
通訳は44日間戦争前、ナゴルノ・カラバフ、アルツァフ共和国の学校で先生をしていた。通訳がかつて先生として働いていたナゴルノ・カラバフの学校でも、ロザンの父親は、不良として有名だったようだ。授業は受けないが、学校に遊びにきていたと語っていた。
かつてロザンのお母さんはロザンの妹を妊娠していた。しかし、お母さんが新しい命をその身に宿していようが、父親は、お母さんに暴力を振るうのをやめなかった。結果、生まれてくるはずだった命は、明るい未来を奪われた。父親の暴力により、お母さんは流産した。そして、お母さんは二度と子どもの産めない体になった。
無邪気に笑う少女は、今までなにを見てきたのだろうか。自分の妹になるはずだった命を、父親が奪ったということ。自分の父親が、良識もモラルもない人間だということ。いつか少女がそのことを理解したとき、この無邪気な笑顔の少女は、いったいなにを思うだろうか。
大切な娘を守るために、ロザンのお母さんは父親と別れることを決めた。「だから、私も娘とこの孫のロザンを守ると決めたの」。少女の祖母であるカリーネは、そう語ってくれた。
現在、ロザンのお母さんは清掃の仕事をしている。お母さんが仕事の間は、祖母であるカリーネがロザンの面倒を見ているのだ。
おばあちゃんにくっついて、ロザンは、ニコニコ、ニコニコと本当に楽しそうだ。ロザンといま一緒に住んでいる家族はみんなやさしそうだ。生活は決して豊かではないかもしれないし、戦争ですべてを失ったのはとても不幸なことだ。それでも、ロザンがおばあちゃんのもとで、幸せそうで本当に良かったなと思う。たくさん悲しい経験をした少女。彼女のいま見ている世界が、美しい世界であることを、やさしい世界であることを、心から願う。
ロザンの祖母であるカリーネは、2020年の44日間戦争時、ナゴルノ・カラバフの戦場で、アルメニア軍のために仕事をしていた。
軍で働くカリーネ以外の家族は、9月27日、戦争が始まった日にアルメニア本土にあるゴリスへ逃れた。一方、カリーネはアルメニア軍で働く職員として、11月末まで、ナゴルノ・カラバフのベルゾール市(ラチン市)に滞在していた。
「44日間戦争中、ベルゾール市で生活はどうでしたか?」
「爆弾は雨のように降り注いだ。そこでの生活は地獄だった。3階建ての軍のビルに残り、兵士たちに食事を作っていたわ。300人分の食事を一人で作らなきゃいけなかったから、昼は休む暇がないくらい忙しかったわ。でも、夜は眠れないのよ。爆撃の音が聞こえて、眠れなかった」。彼女は神妙な面持ちでそう語る。
「あの日、アゼルバイジャン軍は、私がいた兵士のビルの3階を爆撃したわ。3階部分は破壊されたけど、私は1階にいたから無事だった。とても怖かったわ。私は衝撃で吹き飛ばされて、しばらく動けなかった。たくさんのドローンや爆撃を見たわ。トラウマになっている。思い出したくもない。だれも戦争を見ないことを願うわ。いまなら、平和にどれだけ価値があるかわかる」。そう、彼女は語る。
「なにがいまの生活と前の生活で一番変わりました?」
「いまは安心して暮らすことすらできないわ。この家(賃貸)に住めるのは12月末まで、その後住む家は決まっていない。いつ出て行けと言われるかもわからないから、安心できない。アルツァフ共和国(ナゴルノ・カラバフ内の未承認国家)にあった家を失ったのが一番辛い。人生のすべてを賭けてきた家。すべてを失くしたわ」。そう、彼女は悲しそうな表情で語ってくれた。彼女たちのように、ナゴルノ・カラバフのアルツァフ共和国にある地域が、アゼルバイジャン軍に占領され、故郷に帰れなくなり難民化した人は大勢いる。避難先の賃貸に住んでいるナゴルノ・カラバフ難民で、家を出て行けと言われている人もたくさんいた。なかには、44日間戦争から1年ほどで賃貸を追い出され、何度も引っ越している人も少なくない。オーナーに、家を買うか出ていくか選べ、そう理不尽な条件を提示され、追い出される人たちもいる。
彼らがせめて、安心して暮らせることを願うばかりだ。
「昔のベルゾール市での生活が好き。たくさん友達がいたの」。白い服の少女アシアは、遠い目をしてそう語ってくれた。そんなアシアだが、避難先のハルタシェン村の学校には友達は一人しかいないと彼女の先生が教えてくれた。
「将来の夢はなに?」。わたしはアシアに将来の夢を尋ねた。
「看護師になりたい。看護師になってたくさん人を助けたいの」。それは、戦争で傷ついたり、亡くなったりした人たちをたくさん見てきたからか、大好きなお父さんが病気で寝たきりだからだろうか。アシアは取材中も、ベッドで寝たきりのお父さんに付きっきりで、なにか話しかけていた。なんてやさしい子なのだろうか。
「ロザンの将来の夢はなに?」。わたしは、ロザンにもそう質問をした。
「わかんない」。ロザンは興味がなさそうに、あっけらかんと答えた。
そうだよな。まだ小さいからわからないよな。でも、まだ君には考える時間がたくさんある。そうわたしが考えていると。少し間を置いてロザンは大きな声で叫んだ。
「おばあちゃんが大好き!!」
ロザンは、ぱっちりした、光り輝く瞳を大きく見開き、にぱあっという笑顔を浮かべて、そう、叫んだ。
わずか6歳にして、たくさん家庭で辛い経験をし、戦争も経験し、故郷を追われた少女。そんな少女が世界に失望せず、純粋におばあちゃんが大好きと叫んでいる姿に、わたしの胸のなかは震えた。なんていい子なのだろうか。なんで、こんな子がこんな辛い目に遭わなければならないのか。この子が、一体なにをしたのか。世界の理不尽により、やさしい父親を持つことができず、故郷まで追われたというのに、なんてキラキラした暖かな笑顔をして、無邪気に叫ぶのだろうか。その姿はなによりも強く、輝いて見えた。
これから先、辛い思いをしたり、悲しい目にあったりしても、その無邪気な笑顔を忘れないでほしい。私なんてどうせ、そう思うこともたくさんあるかもしれない。でも、この世界や、きみのまわりの家族、たくさんの人がロザンの笑って暮らせる未来を望んでいる。そんな平和でやさしい世界で、きみは幸せに笑顔で暮らすべきなんだ。きみや子どもたちの笑顔を守るのが、この世界に住む、すべての大人の義務なのだから。
わたしはその少女たちの記憶から、この世界の悲しみと絶望を垣間見た。しかし、同時に、そんな絶望に屈しない彼女たちの笑顔とやさしさから、この世界の希望と美しさを垣間見ることができた。これからも、その素敵な笑顔で幸せに暮らしてほしい。
「お金がなくてね、ロザンとアシアには冬を越すための冬靴(スノーシューズ)がないのよ」。取材の終わりに、カリーネはそうぼやいていた。
わたしは、靴を買ってあげることのできなかった、シリア難民の少年のことを思い出した。
この世界はたくさんの悲しみで満ちている。取材当時11月、ハルタシェン村はすでに、芯まで凍えるほど寒かったが、1月、2月になれば雪は山のように降り注ぐ。過酷な冬が、彼女たちを待ち受けている。しかし、ロザンのにぱあっと笑う温かな笑顔を見ていると、彼女たちならきっと大丈夫。不思議と、そう思えた。
続く
世界の果てのあなたへ へ続く
他、アルツァフ共和国のエピソード