アンドレ〜生き残るため、ロシア兵と友達になった少年のゼレンスキーへの思い

ウクライナ Ukraine

処刑と友情の狭間で〜ロシア占領下でロシア兵と友達になった少年アンドレ ウクライナ イルピン 2022年6月

暑い…。暑すぎる。初夏の炎天下の灼熱の中、子どもふたりが、テニスをしていた。

わたしは、初夏のウクライナの日差しにやられてうなだれていた、吐きそうだ。しかし、子どもふたりは、そんな暑さなど関係がないように元気だった。少年の一人は、父がアフリカ系のウクライナ人だった。彼の名前はアンドレ。

インタビューをする前から、アンドレ(15)のことは知っていた。よく通訳を手伝ってくれたアンナの甥っ子だったからだ。アンナの息子とアンドレが遊んでいるとき、わたしは何度か彼にあったことがあった。「ハローハウアーユー?」アンドレは会うたびに、親しみやすい笑顔を見せ、片言の英語で話しかけてくれた。気さくで絡みやすい、明るい少年だというイメージしかなかったので、ロシア占領下のイルピンを経験していると聞いたときは驚いた。

イルピンはブチャの隣の街で、ロシア軍にブチャが占領された際、キーウを守るための最後の砦として、ロシア軍とウクライナ軍の激しい戦闘が行われた街だ。街の一部は焦土と化し、戦争により破壊された街として、世界中のニュースで報道された街だ。

アンドレのように、今まで普通に接していた明るい人たちが、壮絶な経験をしていたということは、ブチャやイルピンでは、さほど珍しいことではなかった。

「僕は占領下のイルピンで、若いロシア兵たちと友達になったんだ」そんな気さくなアンドレが、目をキラキラさせてそう言った。アンドレの言葉に興味を持ち、わたしは彼をインタビューすることにしたのだ。

アンドレは、イルピンの綺麗な針葉樹の森に囲まれた、物静かなエリアで暮らしていた。

2月24日

ロシアのウクライナに対する軍事侵攻が始まり、彼の住むグリーンエリアからもたくさんの人たちが避難した。しかし、アンドレとお母さんは避難しなかった。戦争を経験するのが初めてで、どう行動すればいいかがわからなかったからだ。アンドレは戦闘機やヘリコプターをたくさん目撃した。

2月25日、26日と、爆発の音が日に日に大きくなっていった。

27日

隣の地区で爆発が起きた大きな音を聞いた。

3月4日

アンドレは雷の落ちる大きな音で目を覚ました。しかし、その音は雷ではなく、ウクライナ軍の戦闘車両が家の前を通り過ぎる音だった。4台のウクライナ軍の戦闘車両が、アンドレの家の前を走っていった。アンドレの夢は、ウクライナ軍に入隊し、国のために戦うことだ。アンドレは、憧れのウクライナ兵に手を振った。すると、戦闘車両の上から兵士たちは手を振り返してくれた。ヒーローたちが手を振る姿を見て、アンドレはどこか安心していた。しかし、銃撃、爆撃の音は、時間が経つに連れて大きくなっていった。そんな状況下でもアンドレは、あまり戦争を怖がっていなかった。直に戦闘の音は止まる、そう、どこか楽観的に考えていたからだ。きっと、憧れのウクライナ兵がなんとかしてくれると。

3月5日

再び大きな爆発音で目を覚ました。

キーウの方から、すぐ近所のグリーンヤード地区に砲撃があったのだ。その砲撃の後、1台のウクライナ軍の戦車がイルピンの中心部に逃げていき、奥から2台目の戦車が走ってきた。はじめは2台目の戦車もウクライナ軍の戦車かと思ったが、それは、ロシア軍の戦車だった。一連の戦闘で、アンドレの住む地域はロシア軍に占拠されたのだ。

その後、ロシア兵たちはアンドレの家のフェンスを壊した。20数名のロシア兵たちが家に侵入してきて、地下室に隠れていたアンドレと母、そして近所の男性に家の外へ出るように命令をした。家の前の通りに出ると、更に、50人ほどのロシアの警察たちがいた。

針葉樹に囲まれた道で、ロシア兵は住民に銃を向け、手を挙げさせ、横一列に並ばせた。男たちはシャツをまくりあげさせられ、ジャケットや、ズボンのなかまでチェックさせられた。武器や兵士のタトゥー、ドンバス出身者のタトゥーがないかどうかを確認するためだ。一人の男性にドンバス出身のタトゥーがはいっていた。後に、この男性は処刑されることになる。子どもや女性にはそこまでのチェックはなかった。待っている間、男たちは床に跪かせられていた。

チェックが終わると住民たちは、近くのグリーンヤード地区の、真っ暗な地下シェルターに閉じ込められた。地下シェルターへ向かう途中、アンドレはトラックの運転席で射殺されていた中年男性を目撃した。

地下は暗く、居心地が悪い場所だった。寝るどころか、座るのですら地面が固くて辛い。木材を置いて、その上に座っていたが、2時間も座ると、立ちあがらないとお尻が痛くなりきつい。とても耐えられない。窓の近くにロシア兵がジェネレーターを置いていたせいで、音がうるさくて眠れなかった。

トイレは、地下室の一角にバケツを置いて、そこにした。バケツの汚物がたまったら、ロシア兵に許可をとり、外に捨てに行った。トイレバケツのスペースに扉や仕切りなどはなく、臭いは地下シェルター中に充満していた。

食事は1日1回、クッキー、クロワッサン、スナック、ペプシなどがはいったバスケットが一つ、地下シェルターに支給された。多分、近くの店から略奪されたものだろう。満腹にはならなかったが、餓えは凌ぐことができた。

3月6日、ドンバス出身のタトゥーをしたウクライナ人が、5分ほどロシア兵に殴る蹴るの暴行を受けた。マシンガンで頭を思い切り殴られていた。暴行が終わると、ドンバス出身のタトゥーをした男は地下室から外へと連れてかれた。

バン…

しばらくすると、外から銃声が聞こえた。銃声の後、あたりはふたたび恐ろしいほどの静寂に包まれた。

その後、タトゥーをした男が帰ってくることはなかった。

処刑されたのだ。夜に森から銃声が聞こえてくる事が何度もあり、森で処刑が行われている、そう噂されていた。

「処刑の音を聞いたり、ロシア兵の暴行を目撃したりしてどう思った?やっぱり怖かった?」

アンドレの気持ちを確認するため、インタビューのときに、そう質問をした。しかし、アンドレから返ってきた答えは想像していなかったものだった。

「怖くなんかなかった。僕はいつも笑顔でいたんだ。ロシア兵と仲良くするために。生き残るために、馬鹿なフリをしなくちゃいけなかったんだ」

アンドレは屈託のない笑顔でそう答えた。その屈託のない、明るい笑顔を見て、わたしは、背筋がゾッとする感覚を覚えた。

3月7日

最初にこの地区に来たロシアの警察たちは去り、新しいロシア兵たちがやってきた。新しいロシア兵たちは以前ほど厳しくなくなり、門限まで外を自由に出歩けるようになった。民間人の証であるホワイトリボンをつけるように、ロシア兵に命令された。

ロシア兵が捕らえたスパイを地下室に連れてきた。ロシア兵は、9人のウクライナ人を一列に並べ、内通者を教えろとスパイに尋ねた。スパイがひとりの青年を指差すと、スパイと青年は別の地下室に連れて行かれた。しかし、別室でスパイは指差した青年の名前や、住んでいる場所などの情報をなにも知らないことが判明した。スパイは並べられた9人から、適当に一人を指さしただけだったのだ。青年は濡れ衣で解放された。

アンドレはロシア兵に気に入られていた。ロシア兵たちは、18歳くらいの若者が多く、15歳のアンドレを歳の近い弟のように可愛がっていた。アンドレはウクライナ軍に入隊するのが夢だったので武器の知識もかなり豊富だった。

「Tー90戦車をどう思う?」

「何のスナイパーライフルが一番いいと思う?」と、アンドレは自らの武器の知識を活かし、ロシア兵たちと武器や戦車の話で盛り上がり、仲良くなっていった。

若いロシア兵たちはアンドレに食事や薬、アンドレのお母さんのためのタバコなどを分けてくれた。キャンプファイヤーをして、調理などもしてくれた。アンドレが猫を運んでいると「餌はいるか?」と猫の餌をくれた。

あるとき、若いロシア兵たちはアンドレを破壊されたビルに連れて行き、食料を探してくれた。もちろんロシア兵は悪いこともした。人が避難して、空き家になったアパートに侵入しては、ゴミなどでめちゃくちゃに汚した。ロシア軍のチェチェン兵ふたり組は、誕生日を祝い、酒を飲んでいた。酔った勢いで市民と議論を始めて、市民に暴行を加えていた。(チェチェン人は基本ムスリムだというのに。チェチェン人は残虐で、ブチャやイルピンの人たちからすこぶる評判が悪い)

「ロシア兵を正直どう思う?」

わたしはロシア兵と友達になったという話を聞き、実際のロシア兵がどんな人間だったのかどうしても気になり、アンドレにそう質問をした。

「話した若い兵士たちの多くは戦争に来たがっていなかった。市民を撃ちたくないし、拘束もしたくない、命令されても撃ちたくないと言っていたよ。ロシア兵は、ロシア内での訓練だと思っていたんだ。彼らはチェルノブイリを見るまでは、ロシアに居ると信じていた。でも、実際は戦争するためウクライナに来ていたんだ」

「でも、30〜40代のロシアの将校は違った。奴らは殺しの経験があって、命令があれば考えなしで人を撃てる。命令だと割り切っていた。将校たちは恐ろしい殺人マシーンだったんだ。それに、チェチェン人やカディロフツィは恐ろしかった。奴らは酔っ払って、殴りあっていたんだ」

3月8日

朝、爆撃の音を聞いた。しかし、爆撃の音が当たり前になっていたので、アンドレは気にもしなかった。外に出ると、民間人の印である“ホワイトリボン”をしていない、二つの死体があった。ロシア兵に死体を片付けるように命令された。しかし、その瞬間、ふたたび目の前の針葉樹に覆われた森で銃撃が始まり、ロシア兵に家に避難しろと言われた。そのため、3月11日まで死体を埋めることができなかった。

ロシア兵は、家を失った犬に名前をつけて可愛がっていた。犬の名前は”ホーホー”、ウクライナ人を差別するときに使われる言葉だ。

3月12日

それまでこの地域のロシア兵たちは(チェチェンの荒くれを除く)酒に対して規律が厳しく、「酒は飲まない」と、言っていた。しかし、3月12日、規律が緩くなったのか、酒を飲みはじめた。アンドレたちの目の前で、ロシア兵たちは酔っ払って、酒の瓶を銃で撃っていた。

3月13日

午前10時。突然ロシア兵に、空襲があるから午後3時までにこのエリアから避難するように命令された。ロシア兵はバスでキーウへ繋がる橋まで連れていってくれた。安全だと教えられていたルートだが、実際は、すぐ横に砲弾が落ちてきて安全ではなかった。橋を渡り、キーウにたどり着き、親戚のいるリブネ地方に避難した。

「ロシアという国をどう思う?」

わたしは、アンドレに一番気になる質問をした。知人が拷問され、処刑された一方、若いロシア兵たちと仲良くなった彼は、ロシアをどう思っているのだろうか?

「ロシアは国や政治に問題がある。だけど、普通のロシア人は悪くないよ。彼らはプロパガンダを信じているだけだ。洗脳されているだけなんだ。彼らが、自分たちはなにをしているか、1秒でも早く理解する日が来ることを願っているよ」わたしは、少年の考えに感心していた。アンドレはわたしが思っていたよりも、遥かに大人な考えを持っていた少年だった。

「君は、未来に何を望む?」

「ロシア人とウクライナ人が、憎みあわなくていい平和な未来になって欲しい。独裁者ではなく、ロシアにもちゃんとした選挙でリーダーを選んで欲しい。ゼレンスキー大統領には、もっと長く大統領でいて欲しい。彼は逃げなかったから。ゼレンスキー大統領でなければロシアに降伏していた。ゼレンスキー大統領は、僕たちに勇気をくれたんだ」

「将来の夢はなに?」

「もし戦争が続くようなら、ウクライナ兵になってウクライナを守りたい」

わたしは、彼の夢に少しびっくりした。彼は占領下で、ロシア兵たちと友達になったと笑顔で語っていた。その彼が、ロシア兵と戦うということは、もしかしたら、仲良くなった若いロシア兵たちと殺しあうことになるかもしれない。

「仲良くなったロシア兵たちと戦うのはいいの?」

「これは戦争だから仕方ないよ。戦争がなくて、平和になったら消防士になりたい。それに、日本や中国にもいつか行きたいな。食べ物やアニメが大好きなんだ」アンドレは占領下の地獄を経験した少年だ。しかし、戦争さえなければ、日本や西欧の、好奇心旺盛な同い年の子たちと、なんら変わりはない少年だった。

「もう一度、あの時に戻りたいな」

インタビューが終わった後、アンドレはぼそっと呟いた。占領下に戻りたいということか? いや、そんなことあるはずがない。

「?? あの時って占領下に? 何で? 怖くないの?」

「別に怖くはなかったよ。いまはガスや電気も復旧して、普通の生活に戻ってしまったから。あのときみたいにキャンプファイヤーで調理をすることがもうできないし」

「キャンプファイヤーをもう一度したいの? キャンプが好きなの?」

「別にキャンプが好きなわけじゃないよ。あのときは特別だった。毎日の生活は人間関係、勉強とかストレスがたくさんあるよね。でも、あのときは、なにもかもが特別だったんだ」アンドレは無邪気な笑顔で、そう語った。