サバイバー〜ロシア兵に銃口を突きつけられた女性

ブチャ Bucha

サバイバー~地獄からの脱出~ウクライナ ブチャ 6月

サバイバー〜ロシア兵に銃口を突きつけられた女性

「ロシア占領下の村から逃れる最中、ロシア兵に出会ったけど、生き残った女性がいるわ。彼女は面白い経験をしたから、ぜひ話を聞くべきよ」

いつも取材対象を探すのを手伝ってくれる、ガリーナはそう言って、一人の女性を紹介してくれた。

話を聞いて、きっと、その女性はとても強い、筋肉もりもりの女コマンダーのような人なのだろうと勝手にイメージしていた。しかし、白いユニセフテントに現れたのは、花柄のワンピースを着た、笑顔を浮かべた美しい女性だった。彼女がニコッと微笑むと、爽やかな風が吹いた。それほどまでにナタリアの笑顔は素敵だった。

ナタリア(28)は子どもが大好きな英語の先生だ。キーウ近郊ラキフカ村で平和に暮らしていた。

「戦争が始まる前は彼氏と幸せに暮らしていたわ。友達も沢山いて、よく友達と集まって遊んだの。まさかこんなことになるとは思ってもいなかった」。正午の炎天下の日ざしのなか、ナタリアはあっけらかんとそう語っていた。そんな彼女にも、戦争は容赦なく襲いかかった。

2月24日ロシアによるウクライナ侵攻が始まったの。

ナタリアにとって、2月24日は人生最悪の1日だった。ナタリアの心臓は未だかつてないほどに強く鼓動していた。もしかしたら、国境の近くで戦闘が始まっているのかもしれない。突然の非常事態に、ナタリアはなにをしていいのかわからなかった。避難すべきか、家に居るべきか、なにしろ初めての経験だったからだ。

午前6時。別々に住んでいた両親と連絡が取れない。父はアントノフ空港を訪れていたし、母も仕事に向かっていた。キーウに爆撃があったのは知っていたので、怖くて仕方がなかった。

それから30分から、1時間後、ヘリコプターの音が聞こえた。どこから聞こえるのかも、ロシア兵のものなのかも、ウクライナ兵のものなのかもわからなかった。ただ、近くにヘリコプターが来た時に赤い星のマークが見えた。それでロシアのヘリだと理解した。国境にはウクライナ兵がいるはずだ。なのに、ロシアのヘリがキーウ近郊まで来ていることが信じられずに怖かった。21世紀にこんなことが起きるなんて到底信じられなかった。大人も子どもも、皆ロシアのヘリに恐怖していた。

突如、黒い煙が見えた。多分、どこか爆撃をされたのだろうが、あれがなんの煙なのかも、どこかもわからない。最終的に父をアントノフ空港まで車で迎えに行くことに決めた。時間までは覚えていない。

「助けて、迎えにきて」。母から助けを求める電話が来た。母を職場まで迎えに行った。家に居るのも恐怖でしかなかった。なにしろ、爆撃の音は刻一刻と大きくなるからだ。気が気でない。母を車で迎えに行くとき、5キロもの間、人をだれ一人見なかった。爆撃の音だけが聞こえるのにだれも人がいないのだ。まるでアポカリプス、聖書の黙示録のようだった。

ロシアの大型飛行機を2機目撃した。爆弾を搭載していた。遅く動き、爆音で動いていたので、どこからでもその存在を確認することができた。ロシアの大型飛行機はウクライナ兵の居る森の方に飛んで行った。その刹那、大きな爆撃音が鳴り響いた。ウクライナ兵はこの爆撃でみんな死んでしまった、そう思い、絶望した。

ウクライナ兵は強く、逞しく、ロシアから私たちを守ってくれる、そう信じていただけにショックだった。そして、何故だかロシア軍は森にウクライナ軍がいるのを知っていた。もう、希望はない…。母を家に送り届けたとき、両親の家のあるシニャック村にステイすべきか、自分の家のあるラキフカ村にもどるべきか迷った。なにをしたらいいか分からない。避難すべきか、残るべきか。正解はなんなのか。

シニャック村の親戚の家に親戚16人(大人11人、子ども5人)で集まり残ることに決めた。なぜなら、みんなが避難しようとして、車が渋滞して動けなくなっているのを目撃したからだ。それに、戦争はきっと三日で終わると、どこか楽観的に考えていたからだ。

一番小さな5歳の男の子は勇気があり、泣かなかった。13歳と14歳の子どもたちは、危機迫る状況だというのに、ゲームをしていたことに驚いた。

親戚の家に滞在している間は、1日に5回は地下シェルターに避難した。地下室は0度と寒く、たくさんのブランケットとシーツを持っていき、それで暖をとった。

食料は、もしものためにと10キログラムのパンや砂糖、小麦、水まですべて用意していたので問題はなかった。ナタリアと彼氏は自分たちの家から、衣服とパスポートなどのドキュメント、お金とパソコンだけ親戚の家に持ってきていた。戦争が長引くとは思ってもいなかったからだ。

彼女たちは自身の村と家にはもう戻らなかった。危険だと直感が告げていたからだ。しかし、彼女のその直感は正しかった。ラキフカ村の彼女達の家は、ロシア兵に占拠されていたからだ。

2月25日

ロシア兵がシニャック村へとやってきた。親戚の家にいたがロシアの装甲車や戦車が走る大きな音が聞こえて、自分たちがどれだけ危険な状況にあると即座に理解した。恐怖よりも、ただただ子供たちが心配だった。ロシア兵が男を殺し、女を犯すのを知っていたからだ。

ロシア兵が怖いから、静かにバレないように暮らした。もしロシア兵出会ったらなにをされるか分からない。2階の窓にm2時間ごと交代で見張りを配置した。

2月26日

電気、インターネットが止まり、自分たちの置かれた状況すら分からなくなった。暗闇のなかの生活が始まりを告げた。電気がないため、明かりも暖房もなかった。しかも、いつロシア兵がここに自分たちを殺しに来るか分からない。そんな、恐怖にいつも包まれていた。毎日爆撃が何度もあり、その度に地下シェルターへと避難した。

そんな生活でナタリアは笑わなくなった。久しぶりに鏡を見ると、自分の顔が実年齢よりもおばあさんみたいな顔をしていた。

3月1日

3月になり、本気でほかの場所へ避難することを考え始めた。夕方か夜、暗くなったらウクライナ兵の居る森へ避難しようと。しかし、森に行くのには子供を連れて川を、フトール橋を渡らなければならず、一筋縄ではいかない。いつまでロシア兵の占領地域にいたら良いのかわからない。怖いし、食事もいつか無くなってしまう。実行すれば死ぬかもしれない。しかし、実行しなくても死ぬかもしれない。

そんな最中、危険にも関わらず、叔母は外の畑にたまに出かけていた。何故か畑ではスマートフォンがインターネットに繋がったからだ。しかし、ネットには大量のフェイクニュースも流布しており、なにが真実か見極めるのは困難を極めた。しかも、ロシアの占領下で何故か使えるネットの回線だ。もしかしたら、ロシアに偽の情報を流される可能性もある。

3月8日

とうとう家のガスが止まった。ほかの家は、もっと早い日にガスが止まっていたから、運が良かった。家のなかで調理ができなくなり、暖も取れなくなった。だから、叔母はこの日、キーウに避難することを決めた。しかし、ナタリアを含めてほとんどの親戚は避難せずに家に残った。叔母と祖母、5歳の小さな子供を含む4人が、この日に避難することになった。

ウクライナ兵が居る森まで7キロの道のり。叔母たち4人は避難を開始した。7キロの工程で、5歳の子供は体力を使い果たし、疲れ切った。しかし、4人は無事にロシア占領地域から、キーウへと脱出した。ネットがつながる畑で、叔母から電話を受け取った。

「あなたたちも逃げた方が良い。道にロシア兵は居なくて、静かだったわ」。その叔母からの電話で、残りの家族11人も、翌日に避難を決めた。

しかし、不幸にも翌3月9日のロシア兵の動きは、この日とは違った。

3月9日 脱出当日

11人でのキーウへの脱出の最中、キーウへと繋がるフトール橋への道中、ロシア兵の車2台に見つかり、止められた。体の大きなロシア兵二人が車から降りてきて、近づいてきた。車に残っているほかのロシア兵は、ナタリア一行に銃口を向けた。

人生最後の日かと思った。大人たちは子どもを後ろにして守ろうとした。

「森に行くならウクライナ兵に殺されるぞ!!私たちが君たちを助けよう。私たちロシア兵は君たちの味方だ。君たちを安全なロシアかベラルーシへと連れて行ってあげよう」、大柄なロシア兵はそう語っていた。

「私たちはキーウに行きたいの!!」

家族の中で唯一、そのロシア兵達と話したのはナタリアだけだった。もし、男の人がロシア兵に話しかければ、その時点でロシア兵に殺される可能性が高いからだ。

「私たちは君たちをキエフにだって連れて行ける。なんたってキエフは我々ロシアが占拠したからね。私たちは君たちの味方だ。君たちを助けられる。薬だって、食事だって必要なものはなんだって持ってこられるぞ」。ロシア兵は笑顔でそう説明をした。

ロシア兵の必死な姿を見て、ナタリアは、ロシア兵にとって彼女たちがここを去るのは都合が悪いことだと理解した。でも、ロシア兵に見つかり、目をつけられた以上、もうシニャック村には戻れない。ここから無事キーウへ逃れ生き残るか、ここで死ぬか、道は2択だった。ロシア兵に銃口を突きつけられ、簡単にキーウに行かせてくれる状態ではない。そんな極限の状態で彼女がとった行動は、涙を流すことだった。

彼女は涙を流し泣きじゃくった。別に自ら泣きたいと思った訳ではない。極限の状態で追い詰められ、自然と涙が流れてきたのだ。

「私たちはここに居たくないの。ガスも電気もない、こんな場所に居たくないのよ!!」涙を流し、そう訴えた。

「ウクライナ側に行っても、電気もガスもないぞ」。ロシア兵のその発言で、キーウがロシアに占拠されたという先ほどの発言は嘘だったと理解した。ロシア兵は涙に対して動揺していたのだ。

「キエフへ行ける地図などを持っているのか?」

その後、ロシア兵達は彼女達がウクライナ軍と繋がっているか確認する質問をしてきた。

「ほかの兵士たちに、あなたたちの無事を伝えておく」。最終的にロシア兵たちはそう言い残して去っていった。

ロシア兵の2台の車が戻ってくることはなかった。ロシア兵と遭遇した時間は15分ほどだったが、体感は遥かに長く感じた。キーウへと繋がるフトール橋までの残りの道中、ヘリの音も爆撃の音も何度も聞こえた。しかし、その間、だれとも話さず、できるだけ静かに橋を目指した。そして、最終的にフトール橋を通過し、ウクライナ兵の居る森へと辿り着いた。

ウクライナ兵がどんな状況か知らなかったため、避難のために持ってきた食事を渡そうと思っていた。ウクライナ兵の食事が足りてないと思っていたからだ。しかし、ウクライナ兵は食料を十分持っていた。

「大丈夫か? お腹は空いていないか? なにか必要なものはあるか?」ウクライナ兵は、むしろそう気遣ってくれた。

そして、その後キーウから隣国ポーランドへと逃れた。

「ポーランドまで無我夢中で避難したわ。ポーランドに着いた後、靴のなかが一連の脱出劇で砂塗れになっているのに気がついたわ」。そう言って、輝くほど真っ白なブチャのユニセフテントなかで、ナタリアは笑っていた。

ナタリアにインタビューをしていた時間は午後2時ごろだった。日はカンカン照りで暑く、喉がカラカラだった。しかし、ナタリアがあっけらかんと笑うと、爽やかな風が吹いて、喉が潤う感じがする。ナタリアの笑顔はそれほどまでに素敵だった。しかし、そんな笑顔が素敵なナタリアの鬼気迫る話と言葉に、まるで自分が銃口をロシア兵に突きつけられたような、そんな気持ちになるのだ。

ナタリアが脱出した3月9日以降、ブチャ近郊ではロシア兵の残虐さが増してゆく。ナタリアのような勇敢で、笑顔が素敵な女性が、無事に今も笑っていられることに感謝したい。

「ウクライナの未来に何を望みますか?」

「平和を望むわ。今年中に平和になるかは分からないけど。(ロシアとの)国境に壁が必要よ。ウクライナは豊かで良い国になるわ。子どもが安心して外で遊べる国になって欲しい。」

「あなた自身の未来に何を望みますか?」

「私自身で学校を作りたいの。あと、子どもが欲しいわ。平和な世界を子どもに作りたいわ。戦争を子どもが見ない、爆撃の音を子どもたちが聞かなくて済む、そんな平和な世界を」

「私たちはロシアがした残虐な行いへの怒りを忘れない。ロシアは私たちの復興を助ける責任があるけど、罪は償わないでしょうね。あの国は、ロシアは長い間、私たちを攻撃しようとしてきた。何故ロシアが私たちを憎んでいるかは分からないけど。ロシアはたくさんのウクライナ人を殺した。ドラマのイカゲームみたいに。世界中すべての人はニュースをしっかりと見なくてはいけないと思うわ。もちろん、みんな既にウクライナ情勢のニュースに疲れているのは私たちもわかっているわ(取材当時2022年6月頭、戦争開始からわずか4ヶ月)。でも、子どもたちは殺されて、レイプされている。ロシアを世界から独立させて、解体する必要がある。危険すぎる。国は人を大事にしなければならないけど、ロシアは人を大事にしない。ロシアはこのままだとなにも変わることはないわ。ロシアが変わらない限り、世界は平和にならない」