占領地マリウポリで殺された両親 母は地雷で、父は拷問で…「ロシアがウクライナに何をしたのか、世界中の人に知ってほしい」

ウクライナ Ukraine

写真 マリウポリ出身のオクサーナ

マリウポリ出身のオクサーナ、彼女の父、ヴィクトル(72)と母オレナ(68)は、ロシア占領下のマリウポリで命を落とした。ヴィクトルの死体には、皮膚がほとんど残されていなかった。

写真 左オクサーナの母オレナ(68) 右父 ヴィクトル(72) 写真オクサーナ提供

2022年3月31日、マリウポリの外にいる人に連絡をするため、オクサーナの両親は、電波の入りやすい丘の上に登った。しかし、そこで二人は、近所の人から、近くの検問所のロシア兵に捕まると、拘束される、という話を聞く。怖くなった二人は、家へ戻るため、丘を下り、海岸沿いの砂浜の道を家に急いだ。すると、突如爆音が鳴り響き、父は意識を失った。この爆発により、父は片目を失った。父が意識を取り戻すと、目の前を歩いていたはずの母は、横たわっていた。母の足は、ありえない方向に曲がっていた。母は海岸に埋めてあった地雷を踏んでしまった。両親は海岸に地雷が埋めてあるなどということを、知らなかった。父は母が座れるように起こすと、「暑い、暑い。喉が渇いた。水が飲みたい」。と母が言うので、父は母の上着を脱がせ、水のボトルを母に渡したが、母は飲むことができなかった。そして、数分後、母は息絶えた。一瞬の出来事だった。長年連れ添った最愛の妻、目の前で死んでいく妻に、父は何もしてあげることができなかった。ロシア占領下でずっと地下シェルターに居て、ろくな食事もとれず、弱りきった父は母の死体を運ぶことすらできなかった。カートを持ってきて、それに母を乗せ運ぼうとするも、砂浜の上を、死体を乗せたカートを動かすのは大変で、死体を家まで運ぶのに、朝から夕方までかかった。

母オレナの墓を作った、父ヴィクトル 写真オクサーナ提供

二日後、父は自ら墓穴を掘り、母を埋葬していた瞬間、墓地を銃弾が飛び交った。民間人の父が誰かに狙われたのだ。「私は殺されるのなど怖くはない。もっと、上手く狙うんだな」。父は銃撃をした相手に、そう叫んだ。今にして思えば、父は死にたかったのだと思う。その後、母を失った父は病んでいった。電話しても「孤独を感じる。もう疲れた。でも私はここを去らない。オレナが恋しい。目を閉じると、いつも、オレナの死体が見えるんだ」。いつも、そう嘆いていた。父の精神は限界だった。ロシア軍の人道支援にも、問題があった。いつも食料の配給に並んでも、「もう配り終わったんだ」。というだけで、ろくに食料を受け取れなかった。きっと、ロシア兵は人道支援をくすねていたんだと思う。父の誕生日に電話したときも、「何も食べるものがない、たったひとつの缶詰だけだ」。父はそれを、3匹の犬と、4匹の猫と分けた。それが、父の最後の誕生日だった。

占領下のマリウポリで、父は食料を手に入れることができなかったが、金はそれなりにあった。ロシア兵から、高い年金を受け取っていたし、私が、ボランティアを通して、送ったお金もあった。使い道のないお金、しかし、それが仇となった。2022年9月15日、父は自宅で発見された。皮膚はほとんど剥がされ、爪も剥がされていた。それは、完全に拷問の跡だった。「父は金を持っていたから、ロシア兵に殺されたんだと思う。家から、ロシアの支給した年金がごっそり無くなっていたから。だけど、別の場所に保管してある、私がボランティアを通して、送ったお金は手がつけられず残っていた。ロシア兵が把握していた、年金だけが奪われていたのよ」。父の死体を見つけた近所の人たちは、父の死体が野良犬に食べられるのを恐れて、ロシアの警察(占領下のためロシアの警察しかいない)に通報をするも、警察が父の死体を回収しにきたのは、通報から、二日後だった。警察が父を埋葬したと教えてくれた、集団墓地の番号の墓には、別の人間の名前が刻まれていた。「今はもう、父の遺体が、集団墓地の、どの場所に埋葬されているかもわからない。私は、お墓参りのためにマリウポリに戻りたいけど、ロシア兵は許可を出さない。ウクライナの裁判所と国際裁判所に訴えられるのを、恐れているから。戦前の父と母の夢は、パスポートを取得して、海外を旅して回ることだった。でも、もう、二人の夢が叶うことはない。私は、ロシアがウクライナに何をしたのか、世界中の人が知ることを望むわ。戦争はとても悪いこと、でもね、私にとっては短期間で両親が亡くなったことの方が悲しい。ただ、悲しいのよ」。