娘を庭に埋めた女性 ウクライナ ブチャ 

ブチャ Bucha

嘆きの庭 ウクライナ ブチャ

2022年7月末、夕方。

美しい緑色に煌く葉っぱが生茂る針葉樹に囲まれた家。

「あなたはテレビ局じゃないでしょうね。」

小さな門を潜り抜けると、小柄なおばあさんがそう言って来た。

彼女はアントニーナ、76歳のおばあさんだ。

「残念ながら自分は地位も名誉もない、フリージャーナリストですよ。」

テレビ局のスタッフでないことが分かると彼女は腰をかける場所のある庭の表側へ案内してくれた。

日が沈みかけ、か細い夕陽に照らされた美しい庭。

緑に包まれ、綺麗な紫色の花や赤い花が咲いている。さらに、赤くて丸いりんごも庭に成っていた。

その美しい、静寂に包まれた庭。

アントニーナは無表情で、いや瞳には光はない、まるで、ロシア軍の爆撃により建物に開けられた大きな穴のようだ。

そんな真っ暗な瞳で語り始めた。

2月27日 午前9時

外から道路を装甲車が走る大地を揺るがすような爆音が聞こえて来た。

娘のターニャ(56)は爆音を聞き、外へと走っていった。

装甲車がロシア軍のものか、ウクライナ軍のものかわからなかったので何が起きているか様子を見るためにアントニーナの娘ターニャは外に走ったのだ。

ターニャは庭の門のところに走り、門の上から外を見た。

その瞬間、門の裏を通過していたロシア兵に射殺された。

家のドアの覗き穴からアントニーナはその瞬間を見ていた。

ターニャを射殺した後も、ロシア兵はマシンガンで隣のガレージと畑を撃った。

そして、ロシア兵は家をマシンガンで何発も撃った。

家の窓ガラスは割れ、壁に穴が空き、アントニーナの目の前の家のドアを3発もの銃弾が貫通し、家の内部を破壊した。

幸いにも、アントニーナは銃弾に当たらなかった。

いや、幸いなはずがない、何しろ最愛の娘の命を目の前で奪われたのだから。

ロシア兵が去ると、アントニーナは娘の死体に布を被せた。

その後、雨や雪が娘の死体に降り注いだ。

それまで、感情を失った表情で話していたアントニーナだが、その瞬間彼女の表情が歪んだ。

そして、顔をくしゃくしゃに大粒の涙を流して泣き出した。

大粒の涙を流しながらも、彼女は話し続けた。

アントニーナは日が暮れるのを待ち、娘の死体を門の前から引きずり移動させ、庭の花畑に一時的に娘の墓穴を掘った。

昼間に穴を掘っていたら、ロシア兵に見つかり、娘のように射殺される可能性がある。

だから、夜、日が暮れてから墓穴を掘った。

アントニーナは美しい紫色や赤い色の花が咲いていた庭の一角を指さした。

そうターニャが一時的に埋葬された場所は、あの花畑だったのだ。

占領当時、家の敷地から外に出るのは、ロシア兵に出会う可能性があり危険だった。

それに、近所の人は誰も娘を埋葬するために手を貸してくれなかった。

だから、アントニーナは2月27日から40日間、家の庭に娘の死体を埋めておくしかなかった。

ちゃんとしたお墓に、最愛の娘を埋葬することすらできなかったのだ。

そして、ブチャからロシア軍が撤退し、ターニャが射殺されてから40日後やっと彼女の死体は庭から掘り出されて、お墓に埋葬された。

庭からターニャの死体が掘り出される動画はウクライナのテレビ局により中継され、世界中に晒された。

「写真をあなたに見せるわ。」一通り話を終えるとアントニーナは穴だらけにされた家に最愛の娘ターニャの写真を取りに行ってくれた。

アントニーナが持ってきてくれた写真には年配の男性と白い花束を持った笑顔の女性が映っていた。

Q「ターニャさんはどんな人でしたか?」

アントニーナの代わりに質問に答えてくれたのは近所に住むオクサーナ(45)だった。彼女も涙を流しながら語ってくれた。

「ターニャは親切で、優しくて、本当に綺麗な人だった。本当にみんなに親切な人で。子供が居なかったから、きっとみんなの事を自分の子供のように思っていたのかも知れないわね。」

オクサーナが震えるような声で話すのを見て、アントニーナもハンカチで目頭を押さえながら涙を流していた。

通訳をしてくれたロシア人のアンナも泣いていた。

私はいつもブチャ取材中ジャーナリズムとはなんだろうかと考えていた。

アントニーナの涙はジャーナリストとして写真を撮影して日本に伝えなければならない。

そう思ったが、カメラを持つことができなかった。

それどころか、自分自身も涙を流していたのだ。

ジャーナリズムとはなんだろうか?取材中も取材が終わってからも、いつも考えていた。ジャーナリズムとは中立であること、事実を撮影すること。

「涙を撮影しなければなかったことになってしまう。」一般的にジャーナリストはそう考えてプロ意識を持ち写真を撮影している。

しかし、ジャーナリズムとは現地の方に寄り添うこと、立場の弱い人たちに寄り添うことでもある。ならば、写真をあえて撮影せずに、現地の方の声に耳を傾け、共に涙を流すこと。それもまた一つのジャーナリズムではないだろうか。世界の理不尽に全てを奪われた罪なき市民達の絞り出した声を聞くこと、それこそが一番大事なことではないだろうか。

そう思わずにはいられない。

「娘は死んで、私はまだ生きてる。」アントニーナが大粒の涙を流しながら絞り出したその震える声こそ、ブチャの人たちの現実なのだから。