戦争で正気を失った女性 アルメニア

夫を44日間戦争で亡くした女性 ナゴルノ=カラバフ難民取材 アルメニア Armenia

アルメニアのハルタシェン村でのナゴルノ・カラバフ難民取材。次の難民の人の家に向かっている時におばあさんが通訳に話しかけてきた。何か二人で話し込み始めた。

「########タルク(トルコ人)########」アルメニア語はまるでわからないが、トルコ人と彼女が言ったことだけは分かった。

「何?トルコの悪口か?」俺は通訳に尋ねた。トルコは過去アルメニア人へのジェノサイド(虐殺)を行った歴史がある。今現在もアルメニアの敵国アゼルバイジャンを支援している。トルコ人は優しく、観光地として美しいトルコだが国としてはこのような黒い面も持ち合わせている。そんな、トルコの悪口を被害者であるアルメニア人が口にするのは珍しいことではない。

「彼女はタルク(トルコ人)を最低なクソやろうって意味で使ったのよ」と通訳は説明してくれた。

アルメニア人はアゼルバイジャン人やアゼルバイジャン兵、さらには最低な奴とかクズ野郎のこともタルク(トルコ人)と呼ぶ。それほどまでにトルコ人を憎悪しているのだ。しかし、過去の歴史や今現在トルコが国としてアルメニアにしていることを考えれば気持ちは痛いほどわかる。

オスマン帝国時代、トルコ人は悍しいアルメニア人虐殺を行った。

アルメニアは1915年の大量殺害で約150万人が犠牲になったと主張。一方のトルコ側は推定約30万人が死亡したとしている。国際ジェノサイド研究者協会(IAGS)によると、犠牲者は「100万人以上」に上るとされる。(引用元BBC NEWS JAPAN)

「ナゴルノ・カラバフ難民を取材しているって話したら。彼女が難民は政府から手厚い支援をもらっている癖に、嘘をついて海外のNGOや人達からお金をもらおうとするタルク(クソ野郎)だって言っているのよ。」そう通訳は村のおばさんの言葉を訳してくれた。

難民が嫌われるのはどこでも同じだ。ヨーロッパでも、トルコでも、そして日本でもだ。アルメニアは同じアルメニア人同士だからまだマシだ。しかし、そんなアルメニアですら、このおばさんのように露骨に難民を嫌悪する人もいるのだ。

「さっき話を聞いた嘘泣きして金の話ばかりした難民の人もそうだな」私は通訳にそう言った。難民の人たちの名誉を傷つけたくないのと、記事に信用できない話を書きたくないため信用できそうにない取材はお蔵入りにしている。この話をした直前に行ったインタビューも信用ができずお蔵入りしている。お母さんとおばあさんが嘘つきで金の話ばかりしていたからだ。難民ネットワークで信頼できる人たちに後で情報を確認したところ、さっきの人たちは支援が欲しいがために話がほとんど嘘だったと裏を取れている。嘘をついた彼女達はヨーロッパに毎月お金を送ってくれる支援者が居たし、大量の牛や鶏も所持していた。しかし、取材中は支援もなく生活に困っていて、牛もいないと泣いていた。それに基本彼女達は金の話しかしなかった。彼女もいろいろ失って必死なのはわかるので非難はしないが、そんな支援目当てで嘘を話す人たちにうんざりしていた。ちろん、本当に何もかも失い苦しんでいる人達も沢山いる。ただ自覚して欲しいのは、嘘ばかり着く人たちは本当に困っている人たちの名誉すら傷つけているのだ。

「次に会う家族は大黒柱のお父さんを亡くしている家族よ。娘は私の生徒で、真面目でとても良い娘なのだけど。」通訳がそう説明してくれた。

「ああ、そう。」私はそう答えることしかできなかった。正直、気が重かったからだ。以前取材した最愛のお父さんを44日間戦争で亡くしたアメリアの家族を思い出した。

アメリアの瞳、あの子供達の無邪気な笑顔、あの空気がきつかったのを思い出す。あの家族の瞳を夢にまで見る始末だ。何が残酷な現実と向き合うだ。自分でそう言っておいて、残酷な現実から目を背ける人を非難して、私自身まだ世界の残酷な現実と向き合う覚悟ができていないのだろう。彼女達が見た戦争も、大事な人を戦争に奪われる悲しみも私は何も経験していないというのに。勝手に話を聞きに行き、それで辛いなんてどの口が言えるだろうか。向き合うと決めたはずだろ、しっかりしろ。

一家の家に着くと優しそうだが今にも泣き出しそうな顔をしたお母さんマリエッタ(仮名32?)と、キラキラした目をした幼稚園児くらいの少女が扉を開けて出迎えてくれた。きついな。何せ彼女達に根掘り葉掘り、44日間戦争の話を聞こうというのだから。

「お話ししたくなければ無理なさらなくても大丈夫ですから。」自己紹介をすました後、そんな言葉が口から出た。私はこの後に及んでその場から逃げる口実が欲しかった。マリエッタは笑顔で通訳にアルメニア語で何か話していた。しかし、目は潤み今にも泣き出しそうな顔をしていた。優しそうな人だ。でも、辛そうだ。この人に何を聞くというのか。

「彼女は大丈夫だと言っているわ。」通訳はそう言った。もう逃げ場はない。

家に入ると次に絶句したのは通訳の方だった。

「汚い。臭いも酷い。こんなところで彼女(通訳の生徒)は暮らしているの?」通訳は自分の生徒の生活環境に衝撃を受けているようだった。マリエッタの13歳の娘クリスティーナは学校の先生をしている通訳の生徒だった。部屋は確かに汚かったが、私はこの光景をよく知っている。日本の公立学校にも差別的な意味はないが家が貧乏で汚いとかで有名な子供が学年に2人くらいは居たはずだ。そんな家を思い浮かべて欲しい。

「立っているのも大変でしょうから、よかったらそのベッドに座ってね。」マリエッタは気を利かせてベッドに座って良いと言ってくれた。

「ありがとうございます。」とお礼を言って私はベッドに腰掛けた。

「私はやめとくわ。」と通訳は口にして、立ち続けていた。多分ベッドがきれいではないから座りたくないのだろう。この女その態度はどうなのだろうか?しかも、自分の生徒の家だぞ?正直通訳の無礼な態度にかなり苛立ちを覚えたが取材中に機嫌を損ねられても困るので黙っていた。確かにお世辞にもきれいだとは言えない部屋だ。そんな空間で娘達4人は戯れあったり、宿題をしたりしている。

…子供達の笑顔はどこでも素敵なのに…全くこの世界にはうんざりする。

彼女達は2020年9月27日44日間戦争が始まるまではナゴルノ・カラバフのスース村で生活をしていた。お母さんは亡くなった夫と動物を育て、菜園を営んでいた。スース村はとても美しい村だった。

「いつこの村に移動したのですか?」

その質問を聞いたマリエッタは明らかに挙動不審な動作をしていた。目の焦点は合わず、視点は部屋中をぐるぐる見ているが決して通訳や俺には目を合わせない。何度もアルメニア 語を呟いてはいるが。これは…。

「何日に移動したかわからないみたい。彼女、多分少し混乱している。」通訳は静かに、そう説明してくれた。

マリエッタはどう見ても冷静な状態ではなかった。嫌なことを思い出させてしまったかもしれない。

「質問が辛くて思い出したくないなら大丈夫ですから。辛い気持ちになって欲しくはない。」私はそう彼女に言った。今度はこの場から逃げたいから言ったわけでなく、優しい彼女に傷ついてほしくなかったからだ。

「大丈夫よ。」マリエッタは泣きそうな顔でそう答えた。辛いのに質問に答えてくれるなんて本当にいい人だ。だけど、どう見ても大丈夫じゃない。とりあえず質問を変えるしかない。彼女に過去のことを質問するのは辞めよう。

「今の生活はどうですか?」

「この家は賃貸で2階に亡くなった夫の兄の家族が住んでいるけどいつも怒っていて悪い人。彼らのせいで不幸だと言っているわ。」通訳は彼女の言葉をそう訳してくれた。泣きそうな顔で通訳に彼女は話続けた。

「義理の兄の9歳の子供が亡くなったせいで、彼らはいつも不機嫌だと言っているわ。」そう通訳は訳す。

「それが原因で義理の兄の家族は出て行ったと言っているわ。」そう通訳は続けて訳した。意味がわからない。言っていることが支離滅裂だし、彼女が話した量に対して通訳の英訳が短すぎる。まさかこいつ。

「さっき義理の兄の家族は二階に住んでいるって言っていたよな?まさか適当に翻訳しているんじゃないだろうな?」通訳に率直に疑問を投げかけた。こいつ慣れてきて適当に約しているんじゃないのか?

「違うわよ。彼女がそう言っているのよ。数字は毎回違うし。何度も同じことを繰り返したり、急に正反対のことを言ったり。多分彼女、メンタルを病んで、少し錯乱しているわ。」通訳は静かに、しかし力強くそう言った。

「そうか…。」俺はそういうしかなかった。彼女の話は無茶苦茶だが、私が見てきた支援目的の嘘をつく難民達とは明らかに様子が違った。金の要求など無いし。何より、彼女はどう見ても病んでいる。戦争で全てを亡くし、愛する夫さえ亡くしてしまい、あまりにも悲しすぎることばかりで耐えられなかったのだ。優しい彼女が病むのも仕方ないよな。あまりにも残酷すぎる。隣の机では4人の娘達ははしゃいで笑っていた。それがこの世界か…。

そして、唯一の近しい親戚の夫の兄とも、多分仲が悪い。心から頼れない。あんまりな状況じゃないか。あとで他の難民の人から聞いた話だが、マリエッタはメンタルを病んでいるだけでなく、小さい頃学校に通っておらず、元々数字がわからなかったようだ。そんな、数字がわからない彼女に代わり彼女達への政府からの補助金を受け取っているのは仲の悪い夫の兄のようだ。

「それって彼女は数字がわからないから、義理の兄は彼女の補助金からお金を抜き放題じゃないか!!」後日その事実を聞いた私は、通訳につい感情的にそう詰め寄った。

「そう他の人たちも疑っているわ。でも、それを彼女にいうと彼女は取り乱すから言えないのよ。でも、彼女は数字がわからないからお金の管理はできないし。子供達はまだ子供だし。」通訳は居心地が悪そうに語った。

もし、予想が悪い方に当たっていたら。あまりにも惨すぎる。でも、それの方があり得るだろう。人間は友達だろうが、恋人だろうが、兄弟だろうが、娘だろうが、夫だろうが、妻だろうが金や名誉のためなら平気で裏切れる。私はそのことを誰よりも知っているのではないか。

「この家族は本当に助けがいる。これじゃ、子供達が…。」通訳は混乱しているお母さん、厳しい環境で暮らす4人の娘達を見て、鬼気迫る表情でそう呟いていた。

「PTSDとか戦争で病んだ人のための精神科医のカウンセリングとかないのか?」

「そんなものこの国にないわ…。」通訳は目を細めてそう答えた。

この状況に助けがないなんて、そんなことあってはいけない。だけど、現実…私に何ができるというのか何も無い…。

「何が前の生活と変わりましたか?」

「何もかも変わったわ。」マリエッタはそう言った。お母さんは4人の娘達の世話が忙しく働く暇など無い。仮に働く時間があったとして、精神を病んでいて、数字がわからない彼女を雇ってくれる人が要る可能性がどれだけあるだろうか。彼女達は冬を越すために暖を取るための木が必要だ。

「戦争と平和についてどう思いますか?」

「ただ、怖いわ。」マリエッタは何かに怯えるようにそう語っていた。そう語る彼女の横には笑顔ではしゃぐ娘達の笑顔。この光景を私一生忘れないだろう。

とても辛い取材だったはずなのに、彼女達は帰り際笑顔で見送ってくれた。

「彼女達の家に行く前にあった女性が難民は支援でみんな裕福って言っていたけど、あれは間違いね。どう見ても彼女達の生活は酷い。」通訳は帰り道にそう語っていた。ハルタシェン村の空気は凛と寒く、息を吸い込むと肺の底まで凍り付いてしまいそうだ。