日刊ゲンダイ書評
2022年夏。フォトジャーナリストの著者はウクライナのブチャにいた。ロシア軍が撤退した後も、街には戦争のにおいがしみついていた。青く晴れ渡った空の下、街の中央広場で白く輝くユニセフテントを目にした著者は、そこを起点にブチャの人たちと触れ合っていく。あの夏は、特別な夏だった。
ブチャ虐殺の遺族の話を聞きながら、著者はいつも自分の家族を重ね合わせていた。2017年の夏、父はネクタイで首を吊って死に、家族はバラバラになった。もともと機能不全の家族だった。絶望から逃げ出すように、著者は放浪の旅に出る。キルギス、アルメニア、ハンガリー、ウクライナ、そして消滅した未承認国家アルツァフ共和国。そこには戦争ですべてを失っても、難民となっても、懸命に生きようとする人たちがいた。世界にはまだ光があった。
本作には、多くの市井の人たちが登場する。ブチャのユニセフテントのスタッフ、ガリーナ、毎日テントに遊びに来ている少女ナスチャ、英語が上手な高校生アナスタシア。オレンジ色の髪をなびかせ、いつも輝くような笑顔で子どもたちと戯れているリーザが、ある日、泣き崩れた。リーザの両親は戦車に乗ったロシア兵にマシンガンで撃たれ、重い障害を負っていた。話し終えたリーザは著者に言う。
「話を聞きにきてくれてありがとう」
戦禍の国に生きる人の「声なき声」を伝えようと、著者はインタビューを重ねる。凄惨な話が続いて、一人嗚咽する日もあった。〈なぜ簡単に人を殺せるんだ? なぜ、子どもたちをあんな目にあわせて平気なんだ? 何でだよ?〉。人間の悪意と愚かさへの怒りが涙とともにあふれ出す。
声なき声を拾い集め、たくさんの物語を記録したこのノンフィクション作品は、著者自身の再生の物語でもある。涙の奥に光を宿した人々との出会いは、著者の中の闇を徐々に溶かしていったのかもしれない。著者のカメラに向かってほほ笑む人たちはみな、やさしい光をまとっている。
⭐️書評に対する、わたしの感想⭐️
『声なき声』が、日刊ゲンダイの書評に載りました!!
一人でも多くの人に届いて欲しい『声なき声』が、このような形で、日刊ゲンダイ様に紹介して頂き、本当に嬉しいです。
仕事帰り、駅の売店で日刊ゲンダイを買い、電車の中で読んで、泣いてしまいました。
担当者の方が、自分の意思を汲んでくださったのか、今まで新聞など、紙媒体で記事にできなかった、消滅したアルツァフ共和国、ブチャのユニセフテントのガリーナ、リーザ、アナスタシア、ナスチャなどのことを全国に向けた夕刊で記事にしていただけたこと、父のことを書いてくれたこと、本当に感謝しています。ありがとうございました。
紙面でガリーナやリーザの名前を見て、四年ぶりに約束が、やっと果たせたと、思わず泣いてしまいました。
この書評は、わたしにとって特別なものです。
なぜなら、この書評で、わたしは”二つの約束”を果たせたからです。
この書評で果たせた”二つの約束”、その一つ目の約束
それは、亡くなった父と勝手にした約束が果たせたことです。

父が自死と判断されたとき、自死ではなく、心不全と公表しろと圧力がありました。
当時、定職にもつかずぷらぷらしていた自分は、その圧力になにもできませんでした。
父とはずっと仲が悪く、定職に就かない自分は情け無いと言われていました。
しかし、そんな父ですが、苦労して生きてきて、最後までくるしんだことは知っていました。
自死だと判断され、社会に押しつぶされた父の、最後の抗議による自死だなと思いました。
しかし、そんな父の最後を、自分は圧力に逆らえず、声なき声にしてしまいました。
だから、全国紙の夕刊である”日刊ゲンダイ”様に父が自死したと書評に書いていただき、最後まで父が苦しんで、頑張って生きたんだと伝えることができて、本当に嬉しいです。これはエゴかもしれませんが、親不孝者のダメ息子が亡き父にしてあげられる唯一のことかもしれません。
いま、父が亡くなってから初めて父に献杯をしています。
店では、偶然にも父が大好きだった小田和正のさよならが流れています。
よくギターを片手に歌っていました。
本には父の悪いことばかり書いてしまったけど、父は小さい頃、よくひげを自分のあごにすりつけジョリジョリとしてきました。
あの感触がなにより嬉しかったのはいまでもはっきりと覚えています。
父が亡くなってから初めて、父のことを思い、涙を流すことができました。
書評を父があの世で見て、喜んでくれていることを祈るばかりです。
今回の書評で果たせた、”二つの約束”、二つ目の約束。
ブチャのユニセフテントのガリーナ、リーザ、アナスタシアとの約束

ブチャのガリーナ

いままで、わずかながらに記事が新聞に掲載されたことはあるが、しかしその記事はブチャやウクライナの悲劇だけだった。もちろん、悲劇や現状を伝えるのも、約束のひとつだった。
しかし、これはわたしのエゴだが、わたしが本当に伝えたかったのは、わたしにとって特別だったあの夏のブチャのの美しい光景や、涙のさらに奥にある、懸命に生きるブチャの人たち、ガリーナやリーザ、アナスタシアやナスチャの生き様だった。
しかし、いままでわたしは、ブチャの悲劇やウクライナの悲劇などの記事を新聞で記事に寄稿したことはあるが、本当に伝えたかったブチャの姿、懸命に生きる人々の姿を新聞などのメディアで伝えることができなかった。
今日、仕事の帰り道、駅の売店で日刊ゲンダイを購入し、電車で、『声なき声』の書評に、ユニセフテントのスタッフ、ガリーナ、英語のできる少女アナスタシア、毎日ユニセフテントに遊びに来ていたなすちゃ、オレンジ色の髪をたなびかせ、子どもたちの世話をしていたリーザの名前を見つけて、涙が込み上げてきて、泣いてしまった。
約束を果たせた感慨深さもあったのだろうが、それよりも、あの特別な夏に見た、彼女たちの姿が目の前に浮かび上がってきて、泣いてしまった。
ガリーナやリーザ、アナスタシアやナスチャ、ユニセフテントを新聞に載せるのに四年かかった。
闇を彷徨っていたわたしに、光を与えてくれた、あの、青く眩しい夏。
あの夏は特別な夏だった。
ふと、目を閉じると、キャッキャッ、キャッキャッと子どもたちが笑う声がわたしの頭のなかに響き渡る。
そして、晴れ渡る青空、その空の下、ブチャ中央広場で、子どもたちが遊びまわる光景が浮かんでくる。あの光景こそがわたしにとってのブチャだった。

