最愛の人を戦争で殺された家族 アルメニア ゴリス

44日間戦争、アゼルバイジャン軍のドローンにより一家の大黒柱のお父さんを殺害されたナゴルノ=カラバフ難民の家族。私が、初めて取材した、戦争で家族を亡くした人たちだった。 アルメニア Armenia

最愛の人 アルメニア ハルタシェン村 2021年

日が沈んだハルタシェン村の泥だらけの道を私と通訳はその家族の元へ向かっていた。標高が高い丘の上の村。日の光が無くなれば凍えるように寒い。泥のぬかるみの道を歩くのは大変だった。この日、一つ前のインタビューで支援金目当ての嘘ばかりつく家族と出会ったために少し疲れていた。

しかし、そんなことなど彼らの苦難に比べれば本当になんともないことだ。その家への道のり気が重かった。自分で望んだこととは言え、去年の44日間戦争で最愛の家族を亡くした人にズカズカと話を聞きにいくのだから。一歩歩くたびに泥のぬかるみに足元は沈んでいき、膝に力を入れてなんとか泥の中から足を引き上げる。そうやって、一歩一歩進む他なかった。

灯のついた木の家に入ると、3人の少女が戯れあって笑っていた。部屋の中は豆電球により、ほのかに黄色がかった茶色に照らされていた。少女の一人は顔に絆創膏のような物を付けている。小さな男の子が泣いていて、お母さん、アメリア(25)はそれをあやしていた。

そんなありふれた活気ある家族の光景。普通の家族であれば幸せそうに見えるその光景が、私にはキツかった。

なぜなら、彼女達の夫であり、父は2020年アルメニアとアゼルバイジャンの間で勃発した44日間戦争時、アゼルバイジャンのドローンによる爆撃で殺されたのだから。それが、私が初めて取材した戦争に家族を殺害された人たちだった。

アメリアは目鼻立ちがはっきりした、若くて美しい女性だった。しかし、瞳に光はない。そのアメリアは優しそうで穏やかだが何ともいえない表情でこちらを見つめている。茶色い豆電球で照らされた部屋には静寂と重苦しく張り詰めた空気が流れていて、そんな中子供達の笑い声だけが鳴り響いていた。…本当にこの場所に来て良かったのだろうか…

彼女達は44日間戦争最前線である、ハドルゥート地域、アレフシャド村に住んでいた。彼女達家族の大黒柱のお父さんは兵士だった。アレフシャド村には政府が建てた新しい兵舎があり、彼女達は44日間戦争が始まるまではその兵舎で暮らしていた。

2020年9月27日アゼルバイジャンがナゴルノ・カラバフに攻撃を開始すると、お父さんは最前線へ向かった。そして二度と帰ってくることはなかった。彼女達は44日間戦争が開始してから二週間ほどナゴルノ・カラバフ、アレフシャド村に滞在した。その後、ゴリスへと移った。4人の子供達を連れての移動はとても大変だったという。今も4人の子供達の世話が大変で働くことはできない。お父さんの戦没者遺族年金で何とか生活している。

難民達は世界中どこでも忌み嫌われる。人権先進国ヨーロッパでアフガニスタン難民やシリア難民が嫌われるように、このアルメニアにもナゴルノ・カラバフからの難民を好まない人たちもいる。「難民は支援でいい生活をしているくせに、何もかも失ったと嘘泣きして働きもせず、さらに海外のNGOから支援をもらおうとしている。図々しい。」そうハルタシェン村の難民が嫌いな老婆は語っていた。

彼女達家族はお父さんの戦没者遺族年金で毎月200000ドラム(ドラムはアルメニア の通貨、200000ドラムは約400USドル)政府から貰っている。難民嫌いな老婆が「難民が支援でいい生活をしている」と語っていた、その支援だ。しかし、彼女達の家はボロボロで薄暗い。とてもいい生活をしているとは思えなかった。月200000ドラムというそのお金は、本当に一家の大黒柱を失った事への対価、最愛の人を失う悲しみを経験した事への対価としての価値があるのだろうか?

子供達は取材中も泣いたり笑ったり、とても元気だった。キャキャッ他の兄妹と遊んでいた顔に絆創膏のような物を付けていた少女もとても良い笑顔で笑っていた。もしかしたらあの子は44日間戦争で怪我をしたのかもしれない。

「あの子は顔に怪我しているの?大丈夫?」そんな私の質問を聞いて、お母さんは笑い出した。「怪我をしているわけじゃないのよ。ただ、テープを顔に貼って遊んでいるだけよ。」

無邪気だ。そういえば私も小さい頃兄妹と顔にテープを貼って遊んでいたな。普通の子供達が遊んでいる光景だ。そんなほのぼのした光景と彼女達の父が戦争で亡くなった事のギャップが信じられなかった。その事実は鉛のように重く脳と心に突き刺さる。ショックで頭が回らず呆然と彼女達が遊んでいるのを見つめていた。

「子供達は大丈夫なのか?あんな事があったのに…。」そう質問せずにはいられなかった。質問に答えたのはお母さんではなく、通訳だった。「多分、子供達は理解していないのだと思うわ。」通訳は質問をお母さんに訳すこともせず、そう答えた。それはそうか、まだこんなに小さいのだ。

子供達は無邪気で、この明るさは未来への希望だとも言える。しかし、いつか何故お父さんが居なくなったのか理解した時、子供達は何を思うだろうか。この無邪気な笑顔の子供達は憎しみを抱くだろうか。仮にそうなったとして、その憎しみの連鎖を上から非難する権利などだれにあるだろうか。

「何が難民の方々やご自身の家族、子供達に一番必要だと思いますか?」

「子供達の寝る場所よ。親戚含めて8人でこの部屋で暮らしているの。だから、子供達は寝る場所がなく床で寝ているの。部屋は寒くて、床は硬いから子供達は熟睡できていないわ。あと洗濯機ね。雪が降る時期に洗濯物の手洗いは大変なのよ。」お母さんはそう答えてくれた。

「子供達の未来に何を望みますか?」

「この娘達の素敵な未来と、この子達が将来豊かに暮らせること。それだけよ。」そう言ってアメリアは微笑んだ。茶色い豆電球の明かりで照らされた部屋で、それは美しい微笑みだった。しかし、彼女が笑った瞬間私の心臓は冷たい、真っ暗な闇に落ちてゆく感覚に囚われた。

「……。」そして、子供達が笑ったり、泣いたり、キャッキャッと遊んでいる光景を目にするたびに私の冷たい鎖に縛られた心臓は深い底なしの闇の中にと引っ張られて、沈んで行った。ただ、暗闇に引き寄せられるたびに感じることはその冷たさだけだった。

「他に質問は?」通訳は沈黙している私にそう問いかけた。

私は彼女達を目の前にして呆然としていた。それはその子供達が笑っている光景、お母さんの穏やかだが感情が読めない表情、その光景と戦争が彼女達の最愛の人を奪った現実とのギャップがあまりにも重かったからだ。私は彼女達の姿を目で見てはいたが、その光景に頭が回らず、呆然とすることしかできなかった。聞きたいことは山ほどあるはずが。彼女達に何を聞いて良いのか、何を聞くのがタブーなのか。いや、それ以前に彼女達が経験したこと、そんな彼女達に自分が質問しているこの状況すら理解できていなかった。頭が現実に追いついてこない。私は何をしているのだろう…。これは正しいのか?

「えっと…。」だめだ、頭が回らない。この光景は辛すぎる。子供達の笑い声が私の脳に重くのしかかる。この空間にいること自体がとても辛く感じた。何をしているんだ、残酷な現実に向き合うんじゃなかったのか?もう地獄は見たのではなかったのか?声なき声から目は背けない、そんな覚悟をしたつもりでいたのに、そんな覚悟など残酷な世界に向き合うのにはまだまだ足りなかったのだ。取り敢えず、一番無難そうな質問を。

「戦争前の生活と何が一番変わりましたか?」それが、やっと絞り出した質問だった。答えたのは通訳だった。

「本当にその質問をするの?愛する人をなくしているのよ?そんなの明らかじゃない。」通訳も今にも泣きそうな顔をしている。そりゃそうだろ、なんて馬鹿な質問をしようとしたんだ。

Q「未来に何を望みますか?」

「私が望むのはただ平和だけ、子供達に同じ体験をさせたくない。」そうアメリアは穏やかだが感情の読めない表情で答えた。

彼女の言葉はあまりにも重く、私の心に突き刺さる。その薄暗い部屋で、子供達の笑い声が響く中、私の瞳をまっすぐと見つめる彼女の瞳を私は一生忘れないだろう。子供達の無邪気な笑顔と、アメリアの穏やかな表情、目を背けたくなる現実。これが、私たちの生きている世界なのだから。彼女も私たちもこの世界を歩き続けていかなければいけない。そして、彼女たちのような人たちの声こそなかったことにしてはいけない、声なき声なのだ。