黒のクリスマス〜アルツァフの涙 アルメニア エレバン 2023年11月

7歳の少年は、優しいお父さんが亡くなったことが信じられず、「誕生日(12月8日)にお父さんが電話してくれると信じているんだ」と話していた。だから、お母さんは、お父さんは亡くなったお婆さんや、親戚と同じ場所に行ったと教えている。少年は、クリスマスツリーの姿を思い出すことができない。喪に服した年はクリスマスツリーを出すことができない。毎年親戚が死んでいるため、最後にクリスマスツリーを出して、お祝い事をした時が思い出せない。少年はアルツアァフで空手を習っていた。あと数日で、昇段の帯がもらえるという日に、アゼルバイジャン軍が攻めてきて、全てを失い、もう、空手の帯をもらうこともできない。 アルツァフ共和国

黒のクリスマス〜アルツァフの涙 アルメニア エレバン 2023年11月

 

 2023年、あの日、アルメニアの首都エレバンの丘の上の家のまわりには、わずかに白い雪が残っていた。丘の下にある、わたしが滞在していた市街地には雪が降っていなかったので、同じ街でも、エリアと高度が違うだけで、こうも雪が降るものなのかと驚いていた。とても寒く、わたしの手はかじかんでいて、吐く息は白く、空へと立ち昇っていった。あの雪で囲まれた丘の上の家で、わたしは、アルツァフの涙を見た。

 丘の上の家に入ると、白い服を着た未亡人のヌヴァル(47)が出迎えてくれた。白く光輝く服と対照的に、顔は影を帯びていて生気はない。それもそのはずである、2023年、アゼルバイジャン軍からのアルツァフ共和国侵攻により、最愛の兵士だった夫が亡くなったのだ。それだけではない、彼女は2020年の第2次ナゴルノ・カラバフ紛争では仲のよかった従兄弟と兄のふたりを亡くし、大好きだった母も2年前に亡くしたばかりだった。

 彼女には16歳の長男、13歳の長女、7歳の次男と三人の子どもがいた。7歳の次男はクリスマスツリーを思い出すことができない。毎年喪にふくしているため、クリスマスを祝えていないからだ。クリスマスツリーが思い出せないように、彼は、いい思い出を思い出すこともできないのだと、母ヌヴァルは語る。なぜなら、彼女たち家族の生活は、いつも人の死と悲しみに包まれているからだという。

 2020年、第二次ナゴルノ・カラバフ紛争が始まるまでの生活は完璧だった。ヌヴァルは、ナゴルノ・カラバフのマルトゥーニ地域、マチラカシュン村で生まれ育ち、学校を卒業し、ステパナケルトの大学でロシア文学を学んだ。そして卒業し、夫と結婚して、主婦になった。結婚しアルツァフ共和国首都、ステパナケルトに住み始めるも、週末はいつもマチラカシュン村に子どもたちを連れていった。村の長閑な暮らしの方が、都会での忙しい日々よりも好きで、子どもたちを両親に会わせるためでもあった。そんな平穏な暮らしは、2020年第二次ナゴルノ・カラバフ紛争で終わりを迎える。

 

2020年、9月27日、44日間戦争(第二次ナゴルノ・カラバフ紛争)が始まる。この戦争で、仲の良かった従兄弟と兄のふたりが亡くなる。亡くなった従兄弟のセヴァックはワイナリーで普段働いていた、素晴らしい人柄の男だった。第二次ナゴルノ・カラバフ紛争が始まると、ヌヴァルたち家族を、アルツァフ共和国から、アルメニアの首都、エレバンへ避難させてくれた。その後、ナゴルノ・カラバフの村に戻り、数日後、死亡した。

 2年後、ヌヴァルの実の母は、アルツァフ共和国にある、兄の墓の近くで、脳卒中により死亡。亡くなった兄は、もうものを食べることができないから、わたしも食べ物をあまり食べないと言っていた。だから、疲れ果ててしまっていたのも、母が亡くなった原因の一つなのかもしれないと語っていた。

 「母の一周忌も、なぜかわたしはここ(アルメニアの首都エレバン)にいる。母の墓はアルツァフにあるというのに…」そう、彼女は涙ながらに語っていた。2023年9月、アゼルバイジャン軍にアルツァフ共和国が制圧され、もう戻ることができないのだ。

 そして2023年、アゼルバイジャン軍のナゴルノ・カラバフアルツァフ共和国侵攻開始と同時に、彼女の兵士だった夫も死亡した。

 その戦線にいたのはわずか3名の兵士だけだった。司令官はあまりにも不利な状況に、「撤退をしろ」、そう命令をしたが、彼らは撤退せず、援軍を待ち続け、一時間ほど戦い、そして、戦死した。援軍は結局来なかった。

アルメニアからアルツァフ共和国を繋ぐ、ラチン回廊はアゼルバイジャン軍に封鎖されていたため、アルメニア軍は来ることができなかったのだ。平和維持軍であり、アルメニアの同盟国であるロシアは、停戦を呼びかけるだけでなにもしなかった。未承認国家のアルツァフ共和国の軍が、正規の国の軍であるアゼルバイジャン軍に対抗することなどできるはずもなかった。2日間でアルメニア軍は降伏し、アルツァフ共和国はアゼルバイジャンに引き渡された。そして、アルツァフ共和国の10万に以上の人々は、アルメニアに強制移住させられたのである。

たった3名、圧倒的に不利な状況で、ヌヴァルの夫は、なにを思い、なにを守るために戦ったのだろうか。

 夫の死体はロシアの平和維持軍により、アルツァフ共和国のマルトゥーニ地域に運ばれた。その後、夫の友人により、夫の死体はチャルタル村に運ばれ、埋葬された。故郷のマチカラシュ村はすでにアゼルバイジャン軍に占領されており、故郷に埋葬することができなかったのだ。彼の兄弟、その妻、友人の3人により、夜の闇の中、小さな機中電灯を使い、彼は埋葬された。明るいと攻撃される恐れがあり危険だからだ。葬式も3人だけで行われた。ヌヴァルはアルツァフに戻れることができず、葬式にも参加できなかった。夫の死体はいまも、チャルタル村にある。もう、会いに行くこともできない。

 「夫のジリ(47)はとても親切でやさしい人だった。いつも家族や友達を助けていて、みんなが彼を尊敬していた。働き者だった。夫は父を若い頃に亡くしていたから、だから、子どもたちにはとてもいい父親になろうとしていた。彼は兵士だったけど、子どもたちとたくさん過ごした。粘土や絵、それにスポーツなどを子どもたちと一緒にして、たくさんの時間を過ごしていた。彼は、子どもがアルツァフの学校を卒業することを楽しみにしていた。けど、彼はもういないし、わたしたちもアルツァフを去った」

 「7歳の次男ダニエルは、来週12月8日(取材当時2023年11月27日)が誕生日なの。ダニエルはまだお父さんが死んだのを信じられずにいる。だから、教会に行ったとき、“お父さんが誕生日に電話をしてくれるんだ”と話していたの。わたしはダニエルにお父さんは、わたしの死んだ母や、兄弟と同じ場所に行ったと言っているの」

「アルツァフの学校で、子どもたちは空手をしていた。あと3ヶ月で昇段して、帯をもらえるところだった。けれど、アルツァフを去ったから、空手の帯をもらうことも、もうないわ」。

「いまはなにも見えない。それに、なにもしていない。アルツァフにいる頃、スポーツや色々なアクティビティ、それに勉強をして、子どもたちは夜の8時に家に帰ってきた。けど、いまは、わたしたち家族はなにもしていないの。とても悲しい。人が死んだだけじゃない。とても状況が悪いの。たくさんのものを無くした。子どもたちが過ごしたのは21世紀の生活じゃないわ。10ヶ月の封鎖に、戦争。こんな経験、子どもがすべきじゃない」。

 「今の生活はどうですか?」わたしは彼女に尋ねた。

 「まだ働いていないわ。子どもを精神科に連れて行かなければいけないし、小さな子どももいるから働く余裕がないの。いまは、わたしの叔父の家に住まわせてもらっている。叔父は2020年に亡くなったわ。叔父の妻も、今年の11月に亡くなったばかりよ。たくさんの人が死んだ。いまはみんな悲しんでいるわ。どう乗り越えたらいいかわからない」彼女は、涙を流しながら語り続ける。

「子どもは半年間学校に行けていない。授業を受けられていないの。今は叔父の妻の喪に服す期間だから、叔父の家に受け入れてもらえている。でも、12月23日、喪の期間が終わったら出ていかなければいけない。叔父の家からほかの家への移動は、家賃が高くて難しいわ。賃貸に月3万ドラムは必要なの(当時、10万人以上のアルツァフの人が移動してきて、アルメニア中の家賃が高騰していた)。とても払えない。子どもが大きくなれば働けるけど、いまは子どもが小さくて働けない。この家を出たら、どこにいけばいいかわからない。ロシアにいる流兄弟のところに行ける可能性はあるけど、まだわからない。それに、ずっとは住めない。家賃は高くて、未来への希望はない。明日の住む場所もわからない。家賃が高すぎる。子どもの将来も不安よ、子どもの目を見ることができない。いまのわたしたちは、人生がないみたい。子どもも人生に失望している。子どもが人生を愛せるように、わたしがなんとかしなければいけない。でも、どうしていいかわからない。たくさん親戚が死んで、お祝いもできない、家もない。子どもにとって、お墓に行くのが日常になったの。2年前、5歳のダニエルが迷子になったときに、ダニエルはお花を摘んで、お墓に行って、待っていたの。お墓に行くのが日常になっていたから。そんなの、普通の子どもの日常じゃない」

「アルツァフ共和国は、あなたにとってどんな存在ですか?」わたしはそう、彼女に尋ねた。

「アルツァフは暗闇に包まれた。大地は豊かになったでしょうね。たくさんの人が死んで、それが養分になって豊かになった。わたしは生きているけど死んでいるみたい。酸素がないけど呼吸しているみたい。死に嫉妬している。死んだらそれで終わり。その後の辛い人生や、死んでいった人たちを見なくていいから。わたしは現実にいるけど、いつおかしくなるかわからない。現実が辛すぎる。毎日が始まるのがしんどい。朝の光を見ると不安になる。また1日が始まる絶望。亡くなった人たちは、わたしにとって山のように大きな存在だった。夫の死には意味がなかった。アルツァフの記憶は血だけ。夫の死に対して、名誉の戦死だと言われると辛い。その言葉には何の意味もない。そんなことより、子どもに助けがほしい。いまが一番大変、子どもの責任は全てわたしにある。戦前、夫がいた頃、子どもが欲しいものはなんでも買ってあげられた。いまは子どもがなにを欲しがっても、買ってあげられない。親にとって一番辛いのは、子どもが欲しいものを拒絶しなきゃいけないこと」

それは彼女の悲痛な叫びだった。彼女は取材中、絶え間なく涙を流し続けていた。その涙は、彼女だけでなく、アルツァフ共和国の涙だった。その涙と叫びこそ、伝えなければならないものではないだろうか? 世界の片隅でかき消されてしまった涙と叫びこそ。報道とはそういうものであって欲しいと、フリージャーナリストのわたしは、そう信じている。

12月23日に家を追い出される予定の彼女たちは、わたしたち日本人が、ケーキやケンタッキーでクリスマスを祝う最中、今年のクリスマスをどう過ごすのだろうか? 彼女に幸あれ、そうサンタクロースに願わずにはいられない。

他、アルツァフ共和国のエピソード