
約束と葛藤
約束を果たすとはなんなのか?
現地の方との約束を果たす!!
と、よくわたしは口にしている。
約束
日本、そして世界の一人でも多くの人に現地の実情、人々の生き様を伝える。
一人でも多くの人に伝える、という意味では、一人でも多くの人に現地の話を伝えていると言えるだろう。
しかし、日本に、世界に伝えるというのは、どこまで伝えれば伝えたことになるのだろうか?
どれだけの人に伝えることができれば、伝えたことに、約束を果たせたことになるのだろうか?
しかも、今現在わずかな人にしか伝えられていないのだろうし、伝えたところで、ウクライナの現状も変わらなければ、消滅してしまったアルツァフ共和国が復活して、難民になった方々が故郷に帰ることもできないだろうに。
約束を果たす。
どうすれば約束を果たしたことになるのかもわからないし、果たせたところでなにかを変えることなどできないだろう。
しょせん、ただのエゴでしかないのだろうか。
私のしていることになんの意味がるのだろうかと、よく考える。
ただ、一つ言えるのは、現地の人から託されたものがある、ということだ。
わたしはなにを託されたのだろう? 託されたものをどうすればいいのだろうか?
答えは止まっていてもわからない。進み続けなければわからないのだろう。
いや、進んだところで答えなどないのかもしれない。
しかし、進み続けるしかないのだろう、わたしは、彼らに、彼女らに、懸命に生きている現地の人たちに、生きようとして、生きられなかった人たちに、なにかを託されたのだから。
