世界の果てのあなたへ
プロローグ 物語

物語 創世記〜2023 10月
これは物語だ。
ただの事実でも記録でもない、人々の、物語なのだ。
父の死に不信を抱きながらも、真実から逃げ出したわたしが出会った、残酷な世界を歩き続ける人々の物語。
戦争で故郷の国が消滅した人々や、虐殺で家族や友人を殺された人たちの物語であり、そんな世界を懸命に生き続ける人たち、生きていた人たちの物語だ。
わたしは、伝えなければならない。
彼らの悲痛な叫び、彼女たちの生き続けている姿を。彼らが生きていたことを。あの国が、かつて存在したことを。あの国で人々が暮らしていたことを。だれも知らなかったあの国が、戦争で滅びてしまったことを。世界の真実に近づきたいと進み続けた日々に、わたしが垣間見た――あの光景を。
これは、2022年ブチャを3ヶ月取材したわたしと、当初、ブチャ虐殺を信じていなかったロシア人の通訳アンナ。わたしたちふたりが行ったブチャでの取材の記録であり。
故郷アルツァフ共和国を失った人々の実情であり、多くの人が知らない、亡国アルツァフ共和国の姿であり。
これは、世界に絶望し、死に場所を探していたわたしの葛藤と、あの日の真実を求めた先に、わたしが見た世界の残酷な真実と、生き続けている人々、子どもたちの姿。そして、わたしが垣間見た――ある真実と――あの光景――わたしが見聞きしてきたものの記録である。いや、ただの記録ではない。これはわたしと彼ら、彼女たちの、物語である。
記憶 2022年 8月
すべてのはじまりは、あの子どもたちとの出会いだった。


あの夏はわたしにとっては特別な夏であり、ウクライナ、ブチャにとってもあの年は特別な年だった。
だれにとっても忘れがたい夏というものがある。幼少期、いまはもう会うことのない友達と公園でした美しい花火だとか、汗だくになりながら自転車で滑走した、夏の日差しで白く発光した道路だとか、亡くなるまでそりがあわなかった父親と、唯一参加した釣り大会とか、そういった夏だ。
わたしにとっての忘れがたい夏は、あのブチャで過ごした夏だった。きっと、いなくなってしまった人たちや、わたしが話を聞いてきた人たちにも、忘れがたい夏があったのだろう。そして、無くなってしまった、あの国にも、そんな夏があったのだろう。
いまにして思えば、彼女にとっても、あの少女にとっても、あの夏は特別なものだったのだろう。わたしも、彼女たちも、あの夏、ユニセフテントで、心の底から笑っていたのだ。
2022年夏、どこまでも晴れわたる青空のした、ブチャの中央広場の真っ白に輝くユニセフテントの前で、ブチャの少女ナスチャは、澄んだ瞳でわたしをまっすぐと見つめていた
あのときの少女の瞳は、いまでもはっきりとおぼえている。
少女の瞳は、一見キラキラと光り輝いて見えるのに、瞳の奥は、なぜだかとても儚げに見えた。
そして、わたしはあの夏のある日、彼女たちの思いを受けとめることができずに、目を逸らした。その他大勢の、ウクライナの外で暮らす人たちのように、戦争を知らない国の、多くの普通の人々のように。ジャーナリストだと名乗っているのにも関わらず、わたしは、彼女たちの悲痛な思いを、受け止めることができなかったのだ。なにもすることができなかったのだ。
父が死んだあの日、昔からよく知る、泣きじゃくるあの背中に声をかけることができなかったときのように。あの日、愚かな現実を受けとめることができず、真実を暴くどころか――逃げ出してしまったときのように。
序章 始まりの地
声なき声 日本 2017年
あれは遠い日の、前世の記憶。生き直すまえの、前世の記憶だ。
あの日、父がネクタイで首を吊った死体になった。
ネクタイで首を吊って、自殺した、ということだった。
気がつくと、目の前に棺があった。
数年ぶりに見た父は、警察署の駐車場で棺のなかにいた。顔は紫色に変色し、パンパンに膨れあがっていた。真夏の昼間、数時間のあいだ生肉を放置したような臭いがする。それは、見るに耐えないグロテスクな死体だった。意味がわからず、わたしはポカンとしていた。父のことはずっと憎んでいた。しかし、そのときわたしが抱いた感情は怒りや憎しみでなく、ショックと悲しみ、そして、絶望だった。運命は変えられない。なんて哀れな末路なのだろうと、そう思った。彼は、あの日陰の奥深く、ドス黒い闇の世界から出ることができなかったのだ。
父の遺書は見つからなかった。死人に口なし。なぜ父が亡くなったのか、真相は闇のなかに葬られた
父は心不全で亡くなったと公表された。真実は、揉み消されてしまったのだ
しかし、わたしは確信していた。父を殺したのはあの男女だと。わたしは、葬式の会場であの女を睨みつけた。
すべての始まりは、怒りだったのかもしれない――
天国の湖 キルギス ソンクル湖 2019年7月
わたしは強い怒りの炎に包まれた。当時のわたしは、この怒りと悲しみで、この世界を焼き尽くし、滅ぼすことができるんじゃないかと思っていた。
しかし、わたしにできることなどなにもなかった。『仇をとってくれ』。父が白い布切れを着て、滝の麓の岩場で、わたしにそう問いかけてくる夢ばかり見ていた。しかし、わたしのような無力な人間には、なにもできなかった。
父のことは大嫌いだったが、あれだけ苦労して、頑張ってきたことは知っていた。あれだけ足掻いて、頑張ってきたのに、それなのに、父が最後に見たものは、腐敗臭の漂う、最低な世界の光景だというのか。あまりにも救いのない現実が、わたしには到底納得ができなかった。
わたしは悪を許さないと思ったが、世界を変えることはもちろん、父の仇すら討てなかった。鬱になった妹を救うどころか、言葉をかけることすらできなかった。わたしにはなにもできなかった。わたしは無力だった。あいつらは今ものうのうと笑って暮らしているというのに、力がないのが悔しかった。無力、そんな現実を突きつけられ、わたしは自分と社会、人間というものに深く絶望し、疲れ果てていた。
もう、どうでもいいと思った。どこかなにもない、悪意のないところに行きたい。なにもしがらみもないところで、穏やかに消えたい。それだけだった。父のように醜く腐ったところで消えたくない、せめて、きれいなところで消えたい、悪意のないところで消えたいと、そう思っていた。
そう、いまにして思えば、あの世界放浪の日々、わたしは死に場所を探していたのだろう。美しく、穏やかで、悪意のない墓場を――ただそれだけを求めていた。きっと、父もほんとうは、そんな場所で死にたかったのだろう。
父が首吊り死体になり、すべてに失望したわたしは、現実逃避の世界放浪の旅に出る。
そんなわたしがたどり着いたのは、旧ソ連の国、キルギスタンにあるソンクル湖だった。
わたしはそこで、あの子どもたちと出会った。


キャッキャッと叫ぶ1歳半の少年ラマザンと、ウサギ耳のついたフードを被った4歳の少女イヴィーナ。わたしはあの少年と、あの少女と、どこまでも果てしなく広がる草原の海を、もぐらを追いかけて走っていた。
ユーラシア大陸に位置する、中央アジアの国、キルギスタンのソンクル湖。標高3000メートルに位置する湖は、一年の多くを深い雪に覆われている。そのため、年に3ヶ月しか訪れることができない秘境だ。
美しい透明の湖のまわりを、ステップ地帯独特の草原が広がり、数え切れないほどの数多もの馬の群れが、草原をかけている。
わたしはあの草原で、一心不乱にラマザンとイヴィーナと遊んでいた。追いかけっこをしたり、サッカーをしたり、木のブランコで遊んだり。わたしにとってそんな日々は、世界で一番美しく、幸せな時間だった。
人間の悪意や過去から解き放たれた、やさしくて、自由な時間だった。夜になると、湖の上を満点の星空が広がり、ヒジャブを被ったラマザンの親戚の女性アイザダが、遊牧民のテントであるユルトに、料理を食べにいらっしゃいと呼んでくれた。1歳半の少年と、4歳の少女と草原を走りまわる日々、ロシア語もキルギス語もわからなかったが、笑顔でコミュニケーションを取り、わたしたちは、笑いあった。たぶん、死後の世界に天国というものがあれば、それはソンクル湖に違いない。そう思った。それほどまでに美しい、幻想的な風景、動物、親切にしてくれる現地の人々の声、笑顔、そして、子どもたちの笑い声、すべてが美しかった。ソンクル湖にあるものはすべて、この世界の幸せであり、光だった。
あるときイヴィーナが笑顔でかけてきて、わたしに手をさしだした。イヴィーナの手には、たくさんの真っ白なタンポポの綿毛が握られている。わたしにプレゼントするために、草原で綿毛を集めてくれたのだ。彼女はわたしに、雪のような真っ白の綿毛をさしだし、はじけるような笑顔で、なにか、キルギス語かロシア語の言葉を口にした。彼女から綿毛を受けとると、わたしの頬を冷たいものが流れた。気づいたら涙を流していた。
この世界は美しい。わたしは彼女のやさしさと、目の前にある光景の美しさに感動して、心が震えていた。
わたしは知らなかった。こんな世界の最果てに、こんなにも美しい場所が存在することを、こんなにもやさしくて、純粋な少女がいることを。彼女が空っぽのわたしにくれたのは、ただの綿毛ではなく、彼女がくれたのは心であり、やさしさであり、命であり、光だった。いや、光は彼女自身だろうか――わたしのなかには、暗く、腐った臭いのする闇しかなかった。
しかしいま、わたしの目の前にある笑顔は、わたしがいままで見てきたものとは違った。イヴィーナやラマザンの笑顔はとてもやさしくて、温かくて、まるで太陽のようだった。それは、とても、とても美しく。わたしが今まで見てきた汚いものや、思い出したくない過去を、すべて洗い流してくれるんじゃないか、そう思えた。それほどまでに美しい笑顔だった。その笑顔は、わたしにとって救いだった。ほんとうは、ずっと消えたいと思っていた。もう疲れたと。でも、そんなわたしを、イヴィーナとラマザンは救ってくれたのだ。イヴィーナやラマザンの太陽のような笑顔に照らされ、わたしのなかの闇は青空になった。
イヴィーナとラマザンだけではない、わたしのなかの闇のそばには、いつも、強く輝く光があった。あるときそれは、トルコの東南部で、アルメニア人の女性と朝食を取りながらチャイを飲む時間であり、あるときそれは、クルド人のおばちゃんが毎日作ってくれる温かい夕食を食べる時間だ。あるときは、シリア難民たちとお茶を飲みながら談笑する時間であり、あるときは、はアルメニアのゴリスで仲良くなった家族の家で、美味しいアルメニア料理を食べながら、ウオッカを飲む時間で。世界にはまだ光があった。世界は暗く残酷だ、けれども、いつでも闇のなかに、微かに、小さな光があった。
世界の果てのあなたへ 序章② 世界の始まりの地への旅へと続く (サンプルとして、第一章の途中まで現在公開中です。少しでも興味があれば、読んでいただけたら幸いです)