第1章② あの夏のブチャ〜嘆きの庭〜

世界の果てのあなたへ

嘆きの庭 ウクライナ ブチャ 7月

2022年7月末、夕方。

ブチャの森の隙間から、白く澄んだカーテンのような木漏れ日が溢れ出る。

神秘的な夕暮れ時。空気はりんと澄んでいて、微かに紫の光を帯びていた。ブチャの夕暮れ時は、息を呑むほど美しい。

「バイバイ」と、ゴール少年が手をふってきた。

「バイバイ」と言い、わたしは彼に手をふりかえす。

少年が手をふる様子を見ていると、なぜだかやさしい気持ちになる。そんな気持ちと同時に、お別れか…、と少し切ない気持ちになる。わたしは、あの夏のブチャで、このような小さな出会いと別れを数えきれないほど繰り返した。

次のインタビューに向かうため、先ほどインタビューした占領下のブチャから避難した親子の息子、ゴール(11歳)と別れた。

ゴールは占領下のブチャで、沢山のロシア兵、装甲車、戦車、ヘリによる爆撃など恐ろしい光景を目にしてきた。

避難直前、3月11日には、隣の家の庭に砲弾を撃ちこまれた。衝撃で家はゆれ、ゴールの体は地面へと倒れた。刹那、ゴールの体は恐怖に包まれ、ブルブルと身体中を走る震えを抑えることができなかった。彼は、そのときの恐怖がいまだにトラウマになっていた。避難先からブチャに戻ったばかりのころは、飛行機の音がするたびに恐怖でうずくまっていた。取材当時、大きな音が怖いと言っていたものの、ゴールは自転車で緑豊かなブチャの街を駆けまわっていた。

「将来はブチャの市長になりたい。僕は市民を裏切らない、逃げない市長になる。それで、ブチャにスケート場をたくさん作るんだ。ブチャには小さなスケート場が一つあるだけなんだ。一つじゃ足りないよ。大きなスケート場がたくさん必要なんだ」。少年の夢は、ブチャの木の合間から差し込む木漏れ日のように美しい。

少年の夢は、ブチャの未来そのものだった。そんな少年に、ロシアの軍事侵攻は恐怖と、消えることのないトラウマを植えつけたのだ。わたしはゴールに別れを告げて、次の家に向かった。

ゴールのお母さん、オクサーナ(45)が案内してくれたのは、娘が射殺されたおばあさん、アントニーナのいる家だった。

緑色に煌く葉っぱが生茂る、針葉樹に囲まれた家。 

「あなたはテレビ局じゃないでしょうね」

小さな門を潜り抜けると、小柄なおばあさんにそう言われた。

彼女はアントニーナ、76歳のおばあさんだ。

「残念ながらわたしは、地位も名誉もないフリージャーナリストですよ」

テレビ局のスタッフでないことがわかると、彼女は腰をかける場所のある、庭の表側へ案内してくれた。

日が沈みかけ、かぼそい夕陽に照らされた庭。緑に包まれ、きれいな紫色の花や赤い花が咲いている。さらに、赤くて丸いリンゴも庭になっていた。なぜだかわからないが、この赤い花や紫色の花が咲く庭に、わたしは目を奪われていた。

神秘的な木漏れ日と、静寂に包まれた庭。アントニーナは無表情で、瞳には光はない。まるで、アントニーナの瞳は、ロシア軍の爆撃により建物に開けられた大きな穴のようだ。そんな真っ暗な瞳で、彼女は、ぽつりぽつりと語り始めた。

2月27日 午前9時

外の道路から、装甲車が大地を揺るがすように走る爆音が聞こえてきた。

娘のターニャ(56)は爆音を聞き、外へと走っていった。装甲車がロシア軍のものか、ウクライナ軍のものかはわからなかった。なので、なにが起きているのか見て、状況を把握しなければならないからだ。

ターニャは、人の背丈ほどの高さの庭の門に走り、門の上から外を見た。その瞬間、耳をつんざく轟音が鳴り響いた。ターニャは、門の裏を通過していたロシア兵に射殺された。

アントニーナは、家のドアの覗き穴からその瞬間を目撃していた。倒れる娘と轟音を前に、アントニーナにできることはなにもなかった。

ターニャが倒れてもなお轟音は鳴り響き続けた。ロシア兵が、ターニャを射殺した後も、マシンガンで隣のガレージと畑を撃ちつづけたからだ。そして、ロシア兵はアントニーナの滞在していた家を、マシンガンで何発も撃った。家の窓ガラスは粉々に割れ、壁に黒い穴があき、アントニーナの目の前の家のドアを、3発もの銃弾が貫通し、家の内部を破壊した。幸いにもアントニーナは銃弾に当たらなかった。いや、幸いなはずがない、なにしろ、最愛の娘の命を奪われたのだから。それは、一瞬の出来事だった。

ロシア兵が去ると、アントニーナは娘の死体のもとへと走り、娘の死体に布を被せた。銃を持ったロシア兵がいつまたやってくるかわからない。そんななか、年老い、足腰が弱ったアントニーナが短時間で娘にしてあげられることは、それだけだった。

その後、雨や雪が娘の死体に降り注いだ。しかし、彼女は娘の亡骸になにもしてやることはできなかった。

それまで、感情を失った表情で話していたアントニーナだが、その瞬間、彼女の表情が歪んだ。そして、顔をくしゃくしゃにして、大粒の涙を流して泣き出した。大粒の涙を流しながらも、彼女は話し続けた。

アントニーナは日が暮れるのを待ち、娘の死体を門の前から引きずり、庭の花畑に移動させた。昼間に穴を掘っていたら、ロシア兵に見つかり、娘のように射殺される可能性がある。だから、アントニーナは日が暮れるのを、息を殺してまった。夜の帳があたり包みこむと、墓穴を掘り、娘を埋葬した。

アントニーナは、紫色や赤い色の花が咲いていた、庭の一角を指さした。そう、ターニャが一時的に埋葬された場所は、わたしがこの庭に来たときに目を奪われた、あの花畑だった。

占領当時、家の敷地から外に出るのは、ロシア兵に出会う可能性があり危険だった。それに、アントニーナの近所の人は、だれも娘を埋葬するために手を貸してくれなかった。そのため、アントニーナは2月27日から40日間、家の庭に娘の死体を埋めておくしかなかった。ロシア兵占領下のブチャでは、ちゃんとしたお墓に娘を埋葬することすらできなかった。

そして、ブチャからロシア軍が撤退し、ターニャが射殺されてから40日後、やっと、彼女の死体は庭から掘り出され、お墓に埋葬された。庭からターニャの死体が掘り出される動画は、ウクライナのテレビ局により中継され、その無惨な姿は、世界中に晒された。死体として、世界中に晒された最愛の娘、母であるアントニーナはなにを思っただろうか。

「写真をあなたに見せるわ」。

一通り話を終えると、アントニーナは黒い穴だらけにされた家に、最愛の娘ターニャの写真を取りに行ってくれた。

アントニーナが持ってきてくれた写真には、年配の男性と、白い花束を持った笑顔の女性が写っていた。白い花束がよく似合う、笑顔の女性がターニャだった。

「ターニャさんはどんな人でしたか?」

わたしの質問に、アントニーナの代わりに答えてくれたのは近所に住む、ターニャをよく知る、ゴールの母オクサーナ(45)だった。彼女も、涙を流していた。

「ターニャは親切で、やさしくて、本当にきれいな人だった。本当にみんなに親切な人で。子どもがいなかったから、きっとみんなのことを自分の子どものように思っていたのかもしれないわね」。オクサーナが震えるような声で話すのを見て、アントニーナもハンカチで目頭を押さえながら、涙を流していた。

ふと横を見ると、通訳をしてくれていたロシア人のアンナも泣いていた。

わたしは、いつもブチャ取材中、ジャーナリズムとはなんだろうかと考えていた。アントニーナの涙は、ジャーナリストとして写真を撮り、日本に伝えなければならない。これは取材したものの責務だ。

そう思ったが、カメラを持つことができなかった――それどころか、自分自身も涙を流していたのだ。

アントニーナが涙を流すのは、とても、とても大切なことだ。その瞬間をカメラで撮影するなんて、とても失礼なことなんじゃないのか? テレビ局ではないということで、わたしを少しだけ信頼してくれて、取材を受けて、写真を見せてくれたのに、カメラで撮影したら、彼女の信頼を裏切ってしまうような気がして、彼女の大切な思いを踏みにじってしまうような気がして、わたしは首からぶら下げたカメラを持つことすらできなかった。

ジャーナリズムとはなんだろうか? 取材中も、取材が終わってからも、いつも考えていた。ジャーナリズムとは中立であること、事実を撮影すること。本当にそれだけなのだろうか?

「涙を撮影しなければなかったことになってしまう」。一般的にジャーナリストは、そう考えてプロ意識を持ち写真を撮影している。

しかし、ジャーナリズムとは現地の方によりそうこと、立場の弱い人たちによりそうことでもある。だったら、写真をあえて撮影せずに、現地の人々の声に耳を傾け、ともに涙を流すこと。それもまた一つのジャーナリズムではないだろうか。世界の理不尽にすべてを奪われた、罪なき市民たちの、絞り出した声を聞くこと、それこそが一番大事なことではないだろうか。

「娘は死んで、私はまだ生きている」。アントニーナが大粒の涙を流しながら絞り出した、その震える声こそ、ブチャの人たちの現実なのだから。

第二章 リーザの涙へ続く