第2章 リーザの涙

世界の果てのあなたへ

リーザの涙 ウクライナ ブチャ 6月

老若男女、噴水の水を浴びて、腹から声を出して水遊びをする。そんな光景が、わたしにとって、の、ブチャの、ウクライナの夏の光景だった。わたしはそんな光景をいつも無我夢中に撮影していた。ときにはその無邪気な光景を見て、自然と笑っていた。

水は、人々の心を鏡のように映す。

絶望の地で、ふたたび命の水が吹きあがり、無垢な子どもたちは、そのまわりを駆けまわる。噴水から噴きあがる透明に透きとおる水は、ブチャの人々の心のようだった。そんな光景を見ていると、ブチャはもう絶望の街ではなく、希望の街なのだと、なぜだかそう思える。いや、鏡のような水が映し出す美しいブチャの光景は、それこそが、ブチャ本来の姿だった。

噴水ではしゃぐリーザと子供たち 真ん中の女性がリーザ

6月22日

その日は記念すべき日だった。

ロシアの軍事侵攻により破壊されていた、ブチャ中央広場の噴水が修理されたのだ。ロシア軍がキーウに侵攻してくる前の、平和な日々のように、ふたたび、噴水の水は天高く、澄んだ青空まで登ろうとしていた。

水の柱のまわりを、ユニセフテントのスタッフリーザと子どもたちは、キャッキャッ、キャッキャと声を上げて走りまわり、水をかけあっていた。それはまるで、妖精たちが泉で戯れるような光景だった。わたしはそんな光景を、何十分、一時間とただ眺めていることがあった。ブチャ中央広場でのなんでもない、穏やかで、とりとめもない時間が、わたしは大好きだった。

しかし、だからこそ子どもたちが、広場を駆けまわる姿を見て、「ほらみろ、戦争なんてしていないじゃないか。こんな平和なのに戦争をしているわけない。歴史の勉強をしていないのか? お前は第二次世界大戦を知らない勉強不足だ。だから、ブチャで虐殺はなかった、捏造されたんだ、陰謀だ」、などと愚かなロシアのプロバガンダを信じた、ネット上の陰謀論者が喚きそうだが、そんなはずはない。虐殺も、数えきれない悲劇も、山のような死体も、たしかに存在したのだ。存在した上で、ブチャの人々は、いまを懸命に生きているのだから。

リーザは、太陽のように輝くオレンジ色の髪をなびかせ、4人の少年少女たちと一緒に、美しく、天まで登ろうとするいくつもの水柱のあいだを、風のように駆けぬけていった。

地面を覆う透明の水が、鏡のようにブチャの青空を映し出す。その青い鏡の上を、空を飛ぶようにリーザと子どもたちは駆けぬける。そして、水柱からほとばしる霧のような水飛沫を浴びて、子どもたちとリーザは、屈託のない表情で、白い歯をみせ、腹から声を出して、とても、とても楽しそうに、ケラケラ、ケラケラと笑っていた。悲しみを背負いながらも、キラキラした笑顔で走り続ける。その懸命に生きる姿の、なんと美しいことか。

ピンク色の服を着た5歳くらいの少女は、傘を噴水に向けて、ニコニコと笑っていた。その手で傘を掴み、振り上げれば、降り注ぐ噴水の水に濡れることはない。ブチャの人たちは、雨にも侵略にも負けることはない。

この噴水で戯れる姿こそ、ブチャの人たちの本当の姿だ。ブチャを3ヶ月取材したからこそ、ブチャの人々の姿を見てきたからこそ、そう思わずにはいられない。

リーザは、ロシア軍がブチャを占領した2022年3月、ブチャからは避難していた。だから、いつも無邪気に子どもの世話をするリーザは、悲劇を経験していない女性だと思っていた。だからこそ心に余裕があり、傷ついた子どもたちに温かい手をさしのべられるのだと。そう思っていたのだ。しかし、そんなわたしの想像と現実は違った。

「あなたとあなたの家族は、戦争によってなにが一番変わりましたか?」

後日、灰色の雨雲に覆われ、今にも雨が降り出しそうな空の下、リーザに、そう質問をした。その瞬間、リーザの体は震えだし、大粒の涙を流し泣き崩れた。それは、とても激しくすさまじい泣き方だった。

「なにもかもが変わったわ。私の両親はロシア兵に撃たれた。お母さんは片目を失明して、お父さんは歩けなくなった。4回も手術をしたのよ。だから、私は家族に対して経済的に責任を持たなきゃいけなくなったのよ!!」

ブチャの太陽の光は、真っ暗な闇に飲まれた。ロシアの主張するウクライナの解放のために、ブチャで行われた悍しい虐殺のために。わたしは泣き崩れるリーザの姿に言葉を失った。激しく泣きじゃくるリーザの姿が、いつもの少年のように笑うリーザの姿と、あまりにもかけはなれていたからだ。その落差にわたしは衝撃を受け、もうそれ以上、なにも言葉が出てこなかった。わたしはインタビューを続けることができなかった。曇り空の下、泣きじゃくるリーザの涙は、ブチャの涙だった。

通訳をしてくれたユニセフテントのコスチャは、リーザの肩をポンポンと叩き励ましている。

「もういいだろう。ブチャでは、ウクライナでは、こんな悲劇が数えきれないほど起きている。私も、母をロシアの侵略のせいで亡くした。だから珍しいことじゃない」

コスチャの突然の発言に驚き、わたしは固まった。ショックだった。1ヶ月ほど付き合いがあり、何度も世間話をしたコスチャの母が、ロシアの侵攻により亡くなったなんて、わたしは知らなかったのだ。知り合いの母がロシアの侵攻により亡くなった事実、それに、1ヶ月も付き合いがあるにもかかわらず、そのことをなにも知らなかった自分の愚かさ、二つの事実が、凍てつく冷たい刃のように、わたしの心臓に、深く、深く突き刺さってゆく。

「なんで亡くなったのですか?」。わたしは震える声を絞り出して、コスチャに尋ねた。

「母は癌で入院していたが、ロシアの侵略のせいで薬が手に入らなくなり。亡くなった」

「そんな……。知りませんでした」

「いままで話してなかったからね」

そう言って、コスチャは微笑んだ。わたしを突き放すような、どこか冷たい微笑みだった。コスチャの言葉と、どことなく冷たい微笑みにより、冷たい刃は、さらに深く、わたしの心臓に突き刺さってゆく。コスチャとリーザ、二人とは1ヶ月近い付き合いがあったが、わたしはなにも、知らなかったのだ。いったいわたしは、なにをしにウクライナまできたというのだろうか。真実を知りたい、人々の声を、思いを、現状を伝えたいと、意気揚々とウクライナまでやってきたというのに。

ブチャの真っ白なユニセフテントで、だれよりも子どもたちに愛されていたリーザ。子どもたちの世話をするリーザの笑顔は、なによりも素敵なブチャの太陽だった。そう思っていたからこそ、リーザが大粒の涙を流す姿がショックだった。わざわざウクライナまで来て、土足で現地の人々の心に入り込み、嫌な思い出を蘇らせ、涙を流させる。そんな行為のなにが正しいというのか? それで、だれ一人救えるわけでも、戦争や虐殺を止められるわけでもない。

わたしは、自分の正義がわからなくなった。

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(ナゴルノ・カラバフ難民取材のサンプルエピソードとして、アルメニアの少女〜ロザンを現在公開中です。少しでも興味があれば、読んでいただけたら幸いです)