プロローグ〜戦争で亡くなった国の少女 2023年11月

戦争で亡くなった国で、彼女たちは生まれた。
あの日、9歳少女ノナは、誕生日に友達からもらったというウサギ耳のついた帽子を被り、ピョコピョコと動く耳にあわせて、ニコニコとしていた。
ノナの3歳の妹マネは、いつも片手に棒付きキャンディを持っていた。わたしがカメラを向けるたび、キャーッと叫び物陰に隠れて、しばらくすると、ニコニコととても楽しそうに笑って、ピョコピョコと物陰から出てくる。ふたたびわたしがカメラを向けると、彼女はキャーッと叫び物陰に隠れた。そして、ふたたび物陰からニコニコと顔を出し、手を叩いて、ケラケラと笑っていた。わたしは、あの少女たちの笑顔、そして、彼女たちと過ごすささやかな時間が大好きだった。
「お父さんが英雄だったのは知ってるよ、私が英雄の娘だったことも。でも、仲間を助けようとせず、お父さんに生きて帰ってきてほしかった」ウサギ耳の少女ノナは、そう語っていた。
きっと、2023年にナゴルノ・カラバフ紛争で消滅した、彼女たちが生まれた、アルツァフ共和国でも、彼女たちは、いなくなってしまったお父さん、英雄のミカエルとともに、あの、なによりも素敵な笑顔で、笑っていたのだろう。
かつて、ある国があった。そこで、彼女たちは笑っていたのだ。
皆さんはナゴルノ・カラバフ紛争、そして、その紛争で消滅したアルツァフ共和国のことをご存知だろうか? 2021年、第二次ナゴルノ・カラバフ紛争が始まるまで、たしかに、国を失った人たちはあの美しいアルツァフ共和国で平和に暮らしていた。わたしが、伝えるのは、かき消されてしまった国、故郷、生活、あるひとたちは家族まで失ってしまった、アルツァフ共和国の人たちの叫びだ。
苦難を乗り越えた少女〜アルツァフ共和国 2021年11月

「戦争はまだ終わっていない」
いまでも、少女の悲痛な叫びはよく思い出せる。彼女はわたしが、ナゴルノ・カラバフ難民100人取材でふたり目にインタビューした女性、ジャーナリストとしてふたり目にインタビューした女性だった。だからだろうか? いや、それだけではないだろう。あの少女とお母さんのエピソードは、それ自体が忘れ難いものだった。
2021年、アルメニア、ゴリスの街にはおしゃれな石造りの家が立ち並んでいた。そして、ロシア軍が駐留していた。わたしはあの日、2020年の第二次ナゴルノ・カラバフ紛争により、故郷のアルツァフ共和国(ナゴルノ・カラバフの未承認国家)ハイカジャン村をアゼルバイジャン軍に制圧され、アルメニア本土、ゴリスに逃れてきた、クリスティーナ19歳の、「戦争はまだ終わっていない」という悲痛な叫びを聞いて、胸を痛めていた。
そう、あの曇り空に包まれ、体が芯まで冷えるゴリスで、わたしが彼女の話を聞いているとき、彼女のいう通り、たしかに戦争はまだ終わっていなかったのだ。
2020年、ナゴルノ・カラバフでのアルメニアとアゼルバイジャン軍の戦いは、平和維持軍のロシア軍の仲裁により中断していた。とはいえ、ナゴルノ・カラバフ紛争自体は終わっていなかった。ウクライナでの戦争などのニュースを見て、平和のために早く戦争が終わればいいのにね、という日本人は多い。しかし、ナゴルノ・カラバフの未承認国家アルツァフ共和国の国民たちにとって、戦争の終わりは、故郷の消滅、アルツァッフ共和国が消えて無くなることを意味する。わたしはあの日、ゴリス中心部の彼女がアルバイトをしている服屋の前の道端で、彼女の話を聞いた。
屋外でのインタビュー、話をしているだけで、吐息は、凍てつく寒さにより、白い霧と化して、灰色のゴリスの空へと立ちのぼっていった。
2020年9月27日に、アゼルバイジャンがアルツァフ共和国に攻めてくるまで、44日間戦争が始まるまで、彼女はアルツァフ共和国のハイカジャン村で暮らしていた。美しい自然に囲まれた村で、気のあう友達や勤勉な家族とともに、穏やかな日々を過ごしていた。しかし、いまにして思えば、あの日々は、もう戻ることのできない、なによりもかけがえのない日々だった。
小さな頃から彼女の父親はいなかった。
しかし、彼女には女手ひとつで彼女たちを育ててきた、勤勉で立派なお母さんがいた。そして、しっかり者のお姉ちゃんもいた。父親がいない代わりに、家族を養うため、お母さんは馬車馬の如く、朝早くから夜遅くまで仕事をしていた。クリスティーナを含め子どもたちは、小さな頃からお母さんの仕事を手伝ってきた。そして、立派なお母さんの背中を見て彼女は育った。18年前、クリスティーナの家族は、希望を求め、新天地ナゴルノ・カラバフにあるハイカジャン村に移ってきた。当時は、家も家畜もなにもなかった。ゼロからのスタート。いや、一家の大黒柱であるはずの父親がいない、マイナスからのスタートだった。
当時、アルメニア政府からの援助を頼りに、ナゴルノ・カラバフのアルツァフ共和国に移住するシングルマザーのアルメニア人は少なくなかった。
ハイカジャン村に移動した当初は、彼女たちは資産も家も家畜も、なにも持っていなかった。お母さんは一生懸命、ほかの人の家畜の世話をする仕事をして、必死にお金を貯めた。クリスティーナはいつも、家族のために無我夢中で働くお母さんを手伝った。やがて少しずつお金が貯まり、牛や豚など家畜を買った。家畜を丁寧に世話し、家族の財産である家畜は順調に増えていった。2020年当時、牛は10頭までに増えていた。そして、念願のマイホームも購入した。戦争さえなければ、クリスティーナたち家族は、ハイカジャン村のマイホームで、生涯幸せに暮らすはずだった。そんな彼女たち家族の、長年の努力の結晶である家は、最近リフォームしたばかりだった。ハイカジャン村は彼女にとって、苦労話も笑い話も、彼女たち家族のすべての思い出が詰まった、かけがえのない故郷だった。
ハイカジャン村には、水がとても綺麗なボルタン川が流れていた。2020年当時、高校3年生だったクリスティーナは、きれいなボルタン川に友達と訪れ、おしゃべりをしたり、ピクニックをしたり、ゆったりした時間を過ごすのが大好きだった。彼女と同級生は受験を直前に控えていたが、学校の校舎が新しくなるという一大イベントに胸を躍らせていた。しかし、そんな幸せな日々は、2020年9月27日、44日間戦争が始まり、突如、終わりを迎える。
戦争が始まるとすぐに、アゼルバイジャン軍は、彼女たちの暮らすハイカジャン村に迫ってきた。砲撃音が鳴り響くなか、荷物を詰める時間もなく、クリスティーナたちは、カバン一つだけを持ち、車でハイカジャン村を逃れた。あっという間の出来事だった。それが、彼女たちが長年暮らした故郷のハイカジャン村で過ごす、最後の時間だった。その後、彼女が学校の新しい校舎に行くことも、ボルタン川で友達と過ごすことも、リフォームしたばかりの家で暮らすこともなかった。いまはもう、すべてはアゼルバイジャンの手のなかにある。
しかし、戦争が彼女たちのいままでの暮らしを破壊しようとも、クリスティーナは、お母さんとともに見た夢までは諦めなかった。クリスティーナとお母さんの夢は、クリスティーナが大学に行き、勉学に励み、いい仕事に就くことだった。学歴がなく、苦労した人生を歩んだお母さんだからこそ「いい人生は、知識と仕事で得られる」と、だれよりも信じていた。そして、娘にはそんないい人生を歩んでほしいと心から願っていた。クリスティーナも、苦労した母の背中を見てきたからこそ、だれよりも勤勉さの大切さを理解していた。それになによりいい仕事について、お母さんに親孝行をしたかった。だからこそ、戦争や難民という逆境を経験しても、すべてを失っても、彼女は勉強することを、未来へ向かい歩みを進める事を諦めなかった。
受験間近、彼女は44日間戦争で故郷を追われた。戦争による難民化は、彼女の大学受験を困難なものにした。新しい家、新しい学校、新しい環境に適合しつつ、勉強を続けなければならなかったからだ。戦争の恐怖を身近に感じ続けながらも。しかし、彼女は逆境に負けなかった。
苦難を乗り越え、アルメニアのゴリス市にある大学に合格した。クリスティーナとお母さんは強い女性だった。彼女の強さ、親子の絆は、例え戦争であっても打ち砕くことができなかった。
「将来の夢はなんですか?」
「経済のプロフェッショナルになって、いつかナゴルノ・カラバフの経済と平和に貢献したい」と、彼女は少し、恥ずかしそうにはにかんで答えた。
「戦争前に住んでいたハイカジャンの村はどう思いますか?」
「ハイカジャンの村は静かで、自然が綺麗でゴリスより好きだった。でも、ゴリスでは新しい経験や勉強ができて、その点は良かったわ」
「平和についてよく考えるようになった」と彼女は少し神妙な面持ちで語った。
「あなたにとって平和とはなんですか?」とわたしは思わず、彼女にそう尋ねた。
「安心できること、そして恐怖を感じずに生活できること」と、彼女は言った。わたしが生まれた、戦争と関係ない国の道徳の授業、アニメや映画で語られる、上から目線の理想的な”平和”と、戦争を経験し難民になった彼女の語る”平和”は、全く違うものであり、彼女の願う平和とは、日本や先進国の人が、安全地帯から主張する平和より切実なものなのだなと思い知らされた。
「最後になにか、日本や諸外国の人たちに伝えたいことはありますか?」
「戦争はまだ終わっていない。もう殺戮のニュースは聞きたくない。できたら、ハイカジャン村の家に帰りたいな」
最後に彼女はそう話していた。それは、強い心を持つ彼女の、世界へ向けての悲痛の叫びだった。だからこそ戦争が終わり、彼女が恐怖を感じずに安心して暮らして、お母さんに親孝行してほしいなと、愚かなわたしは当時、そう思っていた。戦争が終わる、それがどういうことか、なにも知らずに。
当時まだわたしはインタビューに不慣れで、拙い質問ばかりだったといまなら思うが、少女の健気な生き様は胸をうつものがあり、不謹慎かもしれないが、いいエピソードだと思う。
しかし、クリスティーナの悲痛な叫びも、少女の健気な人生も、わたしは、だれにも伝えることができなかった。そして、すべてが終わるとき、わたしは、戦争が終わるという言葉の本当の意味を知ることになる。
他、アルツァフ共和国のエピソードリンク