H E R O ウクライナ イルピン

ブチャ Bucha

H E R O ウクライナ イルピン 2022年6月

アナスタシアは、イルピンのリッチタウン地区に住む、若くて、金髪の可愛らしい女性だった。リッチタウンと言っても、お金持ちが住むエリアではなく、ただリッチタウンという名前の、川の前にあるエリアだった。川の向こうはブチャだ。リッチタウンエリアには、8〜10階建ての高いアパートが立ち並んでいた。ロシア軍がキーウ地方から撤退して2ヶ月、6月にリッチタウンに訪れると、アパートは、戦争により所々黒く焼け焦げ、いくつかの建物は、崩れ落ちていた。

アナスタシアは、両親と共に家業である魚屋で働いていた。本業は魚屋だったが、休みの日に、趣味でモデルとしてカメラマンに撮影してもらうのがささやかな楽しみだった。ただ、カメラマンは、プロではないアナスタシアにも厳しかった。「こんな不自然な表情ではダメだ!!だから、もっとモデルとして勉強してくるように説教をしたよ。まったく、3週間後取り直しの予定だが、どうなることやら」。そう、イルピンのプロカメラマンは嘆いていた。プロのモデルでもない女性に、そこまで厳しく言わなくても、とわたしはカメラマンが怒っている様子を見て、苦笑いをしていた。しかし、アナスタシアは3週間後まで、しっかりと、表情やポーズの勉強をして、再び彼に写真を撮影してもらいに行った。趣味とはいえ、それほどまでにモデルとして、写真に映ることに本気だったのだ。彼女には、将来を約束したハンサムな彼氏がいた。戦争前、彼女はイルピンで、彼氏と共に暮らす、スィートホームを探している最中だった。アナスタシアは針葉樹に囲まれた、自然に満ち溢れたイルピンが大好きだった。愛するイルピンのスィートホームで、彼氏と幸せに暮らす、他の多くの女性たちが考えるのと同じような、そんな、幸せな人生のプランを思い描いていた。そう、戦争が始まる、2月24日、あの日までは。

2月24日、ロシアの戦車隊が隊列を組み、ウクライナ領土に侵攻して来た。

しかし、そんな状況下でも彼女はイルピンを離れるつもりはなかった。ずっと生活してきた、緑に囲まれた、愛する故郷。ロシアの戦車がウクライナ領土に、キーウ近郊に侵攻してくるなど、今までの人生で考えたこともなかった。しかし、愛する故郷イルピンを離れるなどということもまた、アナスタシアにとっては考えられない選択だった。それにロシア軍は、軍事基地しか攻撃しない。家や民間の施設を攻撃しないと、そう信じていたからだ。

3月2日、イルピンに空襲が行われた。隣のブチャから日に日に爆撃の音が近づいて来たため、いつかは来ると覚悟していた。その爆撃が、とうとうイルピンの街に降り注いだ。危機感を持った近所に住む人たちは、アンドレという男性を中心に、ロシア兵に対抗するために皆で協力して火炎瓶を作り始めた。駐車場に集まり火炎瓶を作り、いつでも使えるように、火炎瓶を駐車場のゴミ箱に貯蔵していた。

そして、20人がかりで駐車場の巨大な鉄のコンテナを、アパートの入り口まで運んでバリケードにした。もちろん、アナスタシアも含めて、女性も一緒に重いコンテナを運んだ。女だろうが男だろうが関係ない、故郷を守るために、一緒に戦いたかったからだ。

3月4日、それまで、戦前と同じように家族で経営していた魚屋をオープンしていた。しかし、イルピンの領土防衛隊が、店を閉めて避難しろと勧告をしに来た。街の人たちはみんな逃げて行った。魚屋を閉めた後、アパートに猫がいるために、アナスタシアは彼氏と共にアパートへと戻った。帰り道、3キロほど先のザブチャ村が、赤く燃えているのが見えた。アパートに戻ると、イルピンの街から人の気配がしないことに気がついた。人がいなくなったイルピンの街は、不気味なほどの静寂に包まれていた。爆撃の音すら聞こえない、無音。爆撃の恐怖が近づいてくるなかの無音ほど、恐ろしいものはない。イルピンの中心部に住むお母さんから、家の近くが爆撃されたと電話が来た。お母さんは電話の向こうで泣きじゃくっていた。アナスタシアはお母さんからの電話で涙を流した。お母さんと共に暮らすお父さんは冷静だった。

3月5日、彼女の住む集合住宅は爆撃された。爆撃を受けた瞬間、大きな集合住宅は跳ね上がった。その爆撃で、集合住宅内でバリケードや火炎瓶造りを指揮していた、リーダーのアンドレは亡くなった。そう、彼女は後で聞いた。朝9時半から数時間、リッチタウン地区、ロシア軍から激しい爆撃を受けた。自分たちが長年暮らしてきた、美しいイルピンの街が爆撃され、その爆撃で自分たちが住むアパートが飛び上がり、近所の人が亡くなるなんて、写真のモデルと、彼氏とのデートがささやかな幸せだと感じていた1ヶ月前は、考えもしていなかった。その激しい爆撃で、アナスタシアは、初めてこの場所がもう安全でないと理解した。長年暮らしてきた愛するこの街は、戦場になってしまったのだ。彼女は避難をすることを決めた。急いで、服をまとめて、猫をカゴに入れた。そして、勇気を持つためにワイングラスを一杯飲み干した。彼女は彼氏と共に、部屋よりも安全なアパートの通路に滞在して、そこで爆撃をやり過ごした。部屋よりも通路の方が内側にあるため、何枚か身を守ってくれる壁が増える。それに、割れたら危険なガラスもなかったからだ。爆撃の最中、偶然スマートフォンに電波が入った。アナスタシアは無我夢中でイルピンの中心部に住むお母さんに、電話をかけた。

「愛している、世界一愛してる……。さようなら」。爆撃が降り注ぐなか、彼女は最愛の母に別れを告げた。

「娘よ!!娘よ!!」40分後、アパートの外からアナスタシアのお父さんの声が聞こえた。初めは幻聴かと思ったが、その声は紛れもない、本物のお父さんの声だった。爆撃のなか、お父さんはアナスタシアたちを助けに来たのだ。とても嬉しくて、救われた気持ちになった。反面、お父さんの無謀な勇気に怒りを覚えた。お父さんの行為はとても愚かな行為だった。下手したら死んでいた。アナスタシアはお父さんに激怒した。「だって、大好きなお父さんに命を落として欲しくなかったから」。それは、彼女が誰よりも最愛のお父さんを大切に思っていたからこその、怒りだった。

荷物と猫のかごを持ち、お父さんの車がある場所まで、7分ほど走った。爆撃の音が聞こえてくる、アパートの外へ出て、駐車場、滑り台の前、木の生茂る小道を走り抜け、お父さんの車が止めてある道路にたどり着いた。バンバン、という爆撃の音が、あちらこちらから聞こえ、確かに怖かったが、走り抜ける時間は、一瞬に感じた。生きるために必死で、時間は圧縮されていた。車にたどり着くと、窓ガラスは割れていた。

車がウクライナ軍の検問所にたどり着くと、アナスタシアたちはウクライナ兵に、ウクライナ人だと証明する身分証明書を提示した。

「ここは危険だ。早く離れて」。ウクライナ兵はそう言っていた。

父は、一旦アナスタシアたちをイルピンの中心にあるお父さんの暮らす家に連れて行った。そこに、アナスタシアと彼氏を残して、お父さんは一人で再びリッチタウンへと車で向かった。連絡のつかない友達を助けに行ったのだ。お父さんは勇敢で、誰よりも優しい人だった。

お父さんが再びリッチタウンにたどり着くと、辺りは驚くほどの静寂に包まれていた。しかし、そんな静寂のなか、遠くから3台の戦車がやって来た。戦車には“V”と書かれていた。ロシア軍の戦車だ。信じられなかった。まさか自分たちが長年暮らしてきたイルピンに、ロシア軍の戦車がやってくることなど、想像もしていなかったからだ。ロシア軍の戦車がイルピンを走り回る姿は、お父さんの心を折るのに十分だった。お父さんは友達の救出を諦め、道を引き返した。

アナスタシアたちが待つ家に戻ったとき、お父さんの顔は青ざめていた。それは、あの強いお父さんが、開戦以降、初めて見せた恐怖だった。アナスタシアたちは車に乗り込み、キーウに逃れるために、キーウとイルピンを結ぶ、ロマノフカ橋を目指した。しかし、橋は爆破されていた。ロシア軍の戦車にキーウが攻め込まれるのを防ぐために、ウクライナ軍が、あらかじめ橋を爆破していたのだ。ここからさらに西の方角には、キーウへと繋がる、もう一つの橋がかかるストヤンカがある。

「50分前、ストヤンカを目指した市民がロシア軍に撃たれたぞ」ストヤンカを目指そうとしたら、ウクライナ兵はそう教えてくれた。

「選択肢は二つある。家へ戻るか、車をここに置いて、歩いてこのロマノフカ橋を渡るかだ」。ウクライナ兵は、そう指示してきた。しかし、ウクライナ兵を無視し、車でストヤンカ橋を目指すことにした。アナスタシアの友人であり、市民の避難誘導のボランティアをしていた、韓国系ウクライナ人パシャリーが、車でストヤンカ橋に向かった方がいい、そう電話で教えてくれたからだ。

パシャリーはハンサムな俳優だった。アナスタシアの友人であり、いつも家族で経営している魚屋に来てくれた。現実問題、荷物もたくさんあり、猫もいたので、車でストヤンカの橋を目指す他に選択肢はなかった。

ストヤンカ橋へと向かう途中、ロシア兵に撃たれた車を見かけたが、死体は見えなかった。ストヤンカには、アナスタシアたちの車以外いなかった。車の窓がなかったから、爆撃音や銃撃がすべて聞こえて怖かった。彼女にできることは、ただ、神に祈ることだけだった。

ストヤンカ橋を渡り、南へと向かう車列へと加わった。300キロ先のビロツァルカに、彼氏の両親がガソリンを持って来てくれた。ビロツァルカでは知らない人の家に泊めてもらった。翌日、彼氏の実家があるミコライウへと到着した。「そこで、5月まで生活したわ。母はパシャリーにお礼を言うために電話をかけたけど、つながらなかったわ」

後日、ニュースでパシャリーが亡くなったのを知った。彼は最後まで人を助けようとして、命を落とした。パシャリーは、6歳の少女の避難を手伝っていた。車の前の席には、運転手と6歳の少女が乗っていた。後ろの席にパシャリーはいた。彼は、自分の防弾チョッキを6歳の少女に渡した。ロシア兵は、彼らの乗る車にも容赦無く銃弾を撃ち込んだ。少女は幸い助かったが、パシャリーは胸の近くに銃弾を受け大量出血していた。数分後、少女とドライバーは逃げたが、パシャリーはその場に残った。辺りは激しい戦闘中で、残されたパシャリーを救助できる人は誰もいなかった。パシャリーは、最後まで人を、少女の命を助けるために命を賭けて行動した、本物の英雄だった。