ナゴルノ=カラバフ難民取材2021 彼女たちナゴルノ=カラバフ難民は、ずっと暮らしていた故郷、国だと思っていた未承認国家アルツァフ共和国、生活、友人や家族との穏やかな日々、全てを2020年の44日間戦争で奪われた。もう、故郷のアルツァフ共和国は存在しないため、もう、帰ることができない。
アルメニア首都 エレバン ローズシティと称されるほどに美しい
ナゴルノ=カラバフ難民取材2021の舞台、東南部の街、ゴリス
ゴリスは独特な形をした奇岩が観光名所の町でもある。
ナゴルノ=カラバフへと、アルメニア本土から繋がるラチン回廊に近い町であるため、2020年の44日間戦争で故郷を引き渡された、多くのナゴルノ=カラバフからの難民がこの街に住んでいた。
「けど、、戦う覚悟はできている。もし村や平和が奪われるくらいなら私は戦う」 44日間戦争敗北により、故郷シラク村を失った少女。彼女の大好きだった学校の先生は、44日間戦争で命を落とした。
44日間戦争で命を落とした、”英雄”兵士たちの墓 ゴリス
44日間戦争、アゼルバイジャン軍のドローンにより一家の大黒柱のお父さんを殺害されたナゴルノ=カラバフ難民の家族。私が、初めて取材した、戦争で家族を亡くした人たちだった。
44日間戦争時、ナゴルノ=カラバフの軍事施設で兵士に調理をしていたお婆さんとその家族。ナゴルノ=カラバフ難民。「爆撃は雨のように降り注いだ。」
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ナゴルノ=カラバフ難民の少女
ナゴルノ=カラバフ難民の少女
夫を44日間戦争で亡くした女性 ナゴルノ=カラバフ難民取材
お父さんを44日間戦争で亡くした少女たち ナゴルノ=カラバフ難民取材
11月16日 ゴリスのアルメニア人に婚約の写真を頼まれて、撮影している時、セブ湖で44日間戦争以来、最大のアルメニア軍とアゼルバイジャン軍、両軍による44日間戦争以来、最大の戦闘が発生、アルメニア兵15人が死亡した。
壮大な国境近くの道
アルメニア軍とアゼルバイジャン軍の前線。距離が近いため、石の投げ合いなどの小競り合いもあったようだ。
前線に囲まれたくはクハァナツァクムラ
村の人々は、アゼルバイジャン軍による家畜の強奪や威嚇射撃に苛まれていた。
アゼルバイジャン軍に占領された3キロ先のジゼルナバンク村から歩いて逃れてきた難民。クハァナツァク村でも牛を5頭、馬を数頭アゼルバイジャン軍に強奪された。ジゼルナバンク村の家は燃やしてきた。
威嚇射撃や家畜の強奪に、怯えていたナゴルノ=カラバフ難民の家族。村全体がアゼルバイジャン軍の射程範囲内にあり、子供を学校に通わすのも怖いと嘆いていた。長女は来年大学受験だが、緊張感高まる村は学校で物理の先生が不足しているのと、塾などがないため、大学受験においても子どもが不利になる。お母さんはカラバフで先生だったが、この村に仕事はなかった。しかし、家畜を世話する場所をつてのない土地で探すのは大変なため、危険のあるこの村から移動できない。家畜は彼らにとって財産代りの大事なものだ。
元アルツァフ(ナゴルノ=カラバフ未承認国家)のプロサッカー選手の女性。ゴリスで、ナゴルノ=カラバフ難民の子供たちが無料で通えるサッカーチーム”オーロラ”を運営していた。彼女がくれたオーロラのサッカーボールは生涯の宝物だ。
ナゴルノ=カラバフ難民の子供たちも多く通う、ハルタシェン村の学校
子供たちは笑顔で授業を受けていた。
「日本語を教えて」と言ってきて、一生懸命日本語を書こうとする子供たち。この子たちの中にも、ナゴルノ=カラバフ難民の子もいる。こんな純粋な子どもたちが、戦争で故郷を失ってしまったのだ。そして、カラバフ難民は立ち位置も難しいのもあり、報道されることはない。
「この娘たちは冬を越す靴がない」とお婆さんは嘆いていた
